論
「音楽のアラベスク」。 『ドビュッシー音楽論集 反好事家八分音符氏』(平島正郎訳、岩波文庫)第6章「名演奏家」は、内実ほぼバッハ論、バッハへのオマージュになってる。 本文から。 「この協奏曲(しんかい註:前段で「ヨーハン・ゼバスティアン・バッハ…
NHK-FM の帯番組「サウンドストリート」は、曜日ごとのパーソナリティがいて、火曜日は坂本龍一の担当だった。 第39回、1982年04月13日放送分は、ゲストに高橋悠治を迎えた。 曲は5曲掛かって、最初の4曲はテープないしディスク出し。 36'46" にスタジオを移…
10代の頃に聴いたものは、どこでどんな音が鳴ってるか克明に憶えてるし、脳内で完奏できる。 20分の 'Close To The Edge' や 'The Gates Of Delirium' を。 今新たに聴くものは、そういかない。むろん積極的に最大の集中力で聴くのだけど、ここ数年聴いたも…
アルバムを評するのに、「まとまりを欠く」ことを欠点として論うのをよく目にする。 「まとまり」に何かのプラスの評価を置くということが私には解せない。ことにプログレでそれをやられると、メタル聴いてろ、ってなる。プログレすなわち「好き勝手」だ。創…
ブラボーおやじを殲滅せねばならないのは、彼らが「聴く」ということをしていないから。 「ブラボー!」と叫ぶことが目的になってる、ということは、そのタイミングの少し前で準備に入ってる、ということは、音楽を聴いてない。 演奏への反応としての「ブラ…
Ⅰ. 「私は『作曲』のみでロックを聴く癖がある。当ブログでも『作曲』のことしか書いてない。ある曲をディスると、コメントを頂戴して『是非〇〇のプレスで聴いてみて』と薦めて頂くことがある。 いったんは、筋違いなアドヴァイスだ、と思う。でも、実家に…
1'13" 目と 2'40" 目の、楽節終わりのスネア一発のアクセントに、「くっつけた両掌を瞬発的に引き離す」という振り付けをするのが、天才!と思った。 と、前々回の記事で書いた。 私自身、手拍子で曲に合わせて拍を取るのに、能う限りジャストに打とうとする…
視点① 対バン合同の打ち上げで、バンマス(♂)が、運ばれてきた料理を前に、手を合わせて「いただきます」という。 対バンのとあるメンバーがそれを見てクスクスと笑い出す。 たぶんあちらからは、ロックにあるまじき「良い子ちゃん」に見えた。学校側の管理…
フレーズの符割をどんなに入り組ませても、それはイーヴンのビートを基準にしての入り組みであって、どこがどう入り組んでるのか判るように提示するためには、基準ビートを同時に鳴らさねばならない。 単調なビートが厭で、そこから逃れようとして、符割を複…
この曲は本来歌物で、0'16"~ がヴァースなんだけど、私が気になってるのは、なぜここでパーカス・パートが「身も蓋もない8分音符での」刻みをやってるのか、ということ。 たしかに音色的な面白みはある*1。でもそれも、刻みがイーヴンで単調であることの音色…
2年前の今日の記事。 「(打込みのエディットの)作業してる時は感覚が鋭くなってる時だから落ち着いてみると自分の設定したテンポに自分がついて行けなく」 「テンポは、打込み作業においても、どこまでも身体に属するもので、したがってパーソナルなもの」…
今朝グレゴール・ザムザが何か気がかりな夢から目を覚ますと、家の電気が止まってた。 まず停電を疑ったが、お隣りに伺って、電気が止まってるのがうちだけなのが判明した。 ブレイカは落ちてない。 電力会社に問い合わせると、11月の料金が未納で、これが原…
Kate Bush "The Dreaming"(1982年)から。 ふだん「耳を澄ます」と言い「分解能」と言う、それなのに私はオーディオが皆目判らない。 曲の正しい理解のための再生環境というのはある筈で、もっとこだわるべきと反省する。 いったい、耳をより澄ましてるのは…
Ⅰ. まず、例えば、規則的で単純なビートを、数人で、各々の BPM で、奏者間没交渉に、打つ(①)。 これはつまり「他人のやってることを聴かない」。 次に、これをもし「1パート2人ずつ」にしたら(②)。これは①と質的に同じアンサンブルだろうか? 「選択的…
Ⅰ. 変奏曲というとふつう、 主題、これがメロディの形を取るとして、これをいくつかの異なる文脈に置くことで、主題自体の形をなるべくそのままに、その意味を変えて見せる、ということだと思う。 この場合の主役は、主題ではなく、その処理方法のほうだ。…
いくら私が芸術至上主義者だからとて、救急車や消防車のサイレンの音が好き、とは公言出来ない。 そこには災難の現場がある。 ただ、「実際の大きな空間を使った音楽作品」は、アイデアの提出は出来ても、実現不可能だ。 サイレンは、大音量の、よく通る、遠…
PC上で音楽を製作し、ミキシング等を施していざ完成した音源として出力しようという時に、操作を間違えて無音のファイルを出力してしまうことが割と良くある。無音は0デシベルで無のはずなのに、出力されるファイルはたとえば9メガバイトとかいったファイル…
「冬景色」 文部省唱歌 1913(大正2)年初出 作詞作曲者不詳 NHK東京放送児童合唱団 この歌メロのユニークさはどこから来るのか? ①メロの造形や曲の形式に「気持ちを乗っける」ということが皆無なこと。②反復が無く、とっ散らかってて、「2部形式」みたいな…
例えばピアノ曲は「頭の中で作られた曲の構造がまずあってこれを運指に落とし込む」のであって、各指に予め決められた声部が振られてるのではない。左手が和音、右手が主メロ、とか固定するのではない。 十指で賄うために、例えば右手の親指は、ソプラノ声部…
図と地との入れ替わりは、スイッチ的「反転」だけじゃなくて、「連続的」な場合もある。 例えば、天の川の茫洋を背景に星々が点で位置を占める。でも天の川も恒星の=点の夥しい集まりで、近くの個々に識別できる光の点=図と、遠くの光茫の広がり=地とは、…
場って重要、とこれを見ると思う。 ここでいう「場」には2つの要素がある。 ① 空間。具体的には、広さ、リヴァーブの掛かり具合、壁が白いこと。日常ではない、音楽のための空間。 ② その空間を、2人(以上)の人が共有すること。 場が作用して音楽が出来る…
3つの下書きは相互に無関係です。 ① 私の中二時代の世界観の、しかし根本は今も変わってない。ペンディングされ馴化されてるだけで。 家族というものが自然のものとして前提とされてるんだな、とは思う。家族の許に取り返せば解決*1、というところが疑われる…
① テンポ 音の絶対的長さは、音価と、テンポで決まる。 テンポの数直線の上に、ノートの発音のタイミング=ステップ・タイムを点で置いてゆく。ステップ・タイムから次のステップ・タイムまでの長さが、音価。 音の長さを決めるのに、ステップ・タイムの位置…
長いつべをたくさん貼ってます。 Discus の 2nd. アルバム "...tot licht!"(2003年)から。 この曲ではそうでもないけど、このアルバム中の数か所、ガムランやケチャを、わりとそれと判るまんまの形で、取り入れてる。何でもありでいろんな要素がごちゃごち…
"Italic Environments" Project by Nicola Frangione(1985年)から。 SHE Ye,Ye Records さんの御ツイートで知りました。 「メールアートに着想された画期的コンピ『Mail Music Project』を編集したマルチメディアアーティストNicola Frangioneによる85年作…
私がサン・ラーを最初に実際の音と絵として聴き、視たのは、何かのフェスでの「アルケストラ」の映像で、いっぽうでは確実な衝撃、いっぽうでは巨大な当惑だった。 大人数の演奏家たちが、各々デタラメと見えることを、取り憑かれたような熱量を以て、やって…
【ライヴのアイデア】 「二人山下洋輔」(2台のピアノのための) 山下洋輔のインプロを完コピし、2人でユニゾンする とメモしてたのをふと思い出すのと同時に、メモした時点でまったく結び付いてなかった、忘却の淵に沈んでたある記憶が蘇った。 昔、たぶん…
例えば、弦楽オケで、個々の奏者がトレモロをやって、全体としてざわめきを作ってる場合、これをクレシェンドさせるのに、個々の奏者がクレシェンドするのではなく、個々の奏者はただひたすら機械的に同じ強さでやってて、奏者の「人数」を徐々に増やすこと…
「モードありきでこれに沿わせてメロを動かす」のが作曲じゃない。いうまでもない。作曲は辻褄合わせじゃない。 この曲のモードは「コンディミ」なのか「民族っぽい」のか。 キーは D で、es が出て来る箇所ではコンディミっぽい。でも e が出て来る箇所もあ…
この過去記事で 「長音階にどんな音階を据えるか」 「そもそも音階というものが「周波数の単純な整数比で表せる=協和する音程を並べたもの」だとすれば、最も協和なのは倍音列だから、これに(近似値で)沿う、 ド-レ-ミ-ファ♯-ソ-ラ-シ♭ という音階…