耳視点と指視点と Steve Vai

例えばピアノ曲は「頭の中で作られた曲の構造がまずあってこれを運指に落とし込む」のであって、各指に予め決められた声部が振られてるのではない。左手が和音、右手が主メロ、とか固定するのではない。

十指で賄うために、例えば右手の親指は、ソプラノ声部中の音を弾いたり、アルト声部中の音を弾いたり、和音の構成音を弾いたり、左手を飛び越えて最低音を弾いたりする。

各声部をなぞるのは、頭であり耳であって、指ではない。

 

そういう、頭で発想して、これを具現するために身体を従属させる曲を、敢えて頭ではなく身体の側、右手親指側の視点から眺めてみる。

すなわち、運指上右手親指で押されるノートだけを抽出し辿り、1本のフレーズとして聴いてみる。

 

というようなことを考え始めたきっかけは、ツイッターで知ったこの動画:

手視点で見れば、3本のネックのあいだをせわしなく行き来する。

耳視点で見れば、3つの声部が、それぞれ独立した声部として横に繋がって流れ、同時進行し、曲の構造を作る。