「『2本の左手のためのソナタ』という曲のタイトルを思い付いた」という御ツイートを拝見して、面白いと思った。
加えて、私は別のことも思った。ギターなどの、右手と左手の役割分担の明確な楽器の場合、「1本の右手と1本の左手のためのソナタ」もあり得る、と。
似たようなことを以前書いてた。
1台のピアニカを2人で、「吹く」と「弾く」を分担して、演奏する。
「2人で分担するから1人当たりの負担が半分になる、のではない。全く逆で、テンポやフレーズ感を、つまり1つの音楽を2人で共有するには「熟練」が必要だ。そこに妙味がある」
そこから一歩進めて、
「互いに没交渉にそれぞれの符割を粛々と実行する」「結果、偶然に、2人の奏者どちらの意図のコントロールからも外れたところで、生まれる音楽」
「卓(ミキサー)パート」のいるバンドってあり得る。
卓担当が、卓奏者としてのアクティヴなプレイを主張する。他の各パートのやってることを完全に・有効に聴かせる立場に甘んずるとは限らない。
他の楽器パートが、意思をリニアに連続させて、自らの文脈に沿って演奏を続けるのだけど、それを処理する卓がパートとしての積極性と文脈を主張すると、楽器パートが弾いてるのに出力されてない時間が存在したり、楽器奏者の文脈を寸断して無効にし、断片化したりする。
そういうバンド。