sakana

アメーバピグの音楽フロアでビートルズ・カヴァー縛りで場が持たれると、sakana のアイ・ソー・ハー・スタンディング・ゼアがまず思い浮かぶわけだけど、つべに上がってなくて残念だった。

先日西脇一弘氏がツイートしてらした。

デビュー・アルバム "Les Blanchisseuses"(『洗濯女』、1988年)所収。

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慶応義塾大学文学部の粂川麻里生教授(ドイツ文学)がキーボードをお弾きになる方で、『洗濯女』リリース以前の sakana のメンバーだった」とどこかで聞いた気がした。これについて西脇氏からご丁寧にもツイッターで返信を頂いた。「知人の紹介で1~2度スタジオでセッションした事があったと思いますが、一緒に活動するには至らなかったです。」とのことだった。

都市伝説(吉松隆)

今日03月18日は吉松隆の誕生日だそうです。

 

 

以下、2017年の記事で書いて、2020年に追記した内容なのですが。

 

Wikipedia「朱鷺によせる哀歌」の項に

〈作曲家の紹介文献で「『朱鷺によせる哀歌』で尾高賞を受賞した」と記述されていることがあるが、事実ではなく、本人も公式サイトで否定している〉

の一文を発見して、狐に抓まれたのでした。

私も尾高賞受賞作と思い込んでいたので。じゃあそのデマの出処は何なんだ?

 

Wikipedia吉松隆」は、この誤った記述のある箇所として、青島広志『作曲家の発想術』(講談社現代新書、2004年)p.263 を挙げています。

 

いっぽう、1982年に「尾高賞30周年記念N響コンサート」でこの曲が取り上げられ、CD 化もされています。作曲の翌年というタイミング。これが「朱鷺によせる哀歌」と「尾高賞」とが人々の記憶の中で結びついてしまった端緒、都市伝説の大元なのかも知れません。

 

どっちみち私個人の誤認の原因は判りません。

 

周知の曲なのでつべは貼りません。

1981年の時点に、この調性丸出しの、こっぱずかしいまでのロマンティシズムは、そうであるがゆえに却って新鮮だったのかも知れません。

メモ(夢とか)

なんだよ「日本を代表する」って?!

 

 

さて、「夢の中で◯◯が聴こえて来た」と曲名をおっしゃる方がいらして、羨ましい。「似てる」とかじゃなくて、「この曲のこの部分」と、ものすごく具体的。

私は夢で既存の曲が聴こえて来たことが無い。

一時期、夢で音楽がよく聴こえたけど、全部初めて聴く音楽。

ただ、具体的な曲名をお挙げになるのをお見掛けしたのは、今のところお2人だけ。その方たちが夢でお聴きになる、既存の曲とそうでない曲の比率も、判らない。

 

現実で体験したことを夢の中でメモする「現実日記」というのを思い付く。

明晰夢をご覧になれる方なら、お出来になるだろうか?

ヒトは、「これは夢だ」と気付いてる場合なら、現実でのことを思い出そうと思い立つことが出来るのか? どのくらい正確に思い出せるものなのか? 夢の中での正確さは、目覚めて思い出してみると正確じゃなかったりするだろうか?

日々書き継いでゆくことは可能か?

夢と現実は非対称だろう。夢の世界の方がずっと広くて融通無碍なような気がするし、一括りに夢と言ってはいけないかも知れない。現実へのロジックへの翻訳しやすさで測って、幾層かのレヴェルに分類出来るかも知れない。

現実の中にいて書く「夢日記」は、現実のロジックに翻訳されている。夢の中で書き綴られてゆく現実世界の記録について、現実の私がその正確さをジャッジするのはナンセンスだろう。