美しいワルツ

ワルツをヨハン・シュトラウス2世でしか知らなかった頃、ワルツはわたし的に「美」の範疇に無かった。「その場に滞る音楽」と感じてたと思う。「外枠」としての四角四面の楽節がまずあって、そこを、必ずしも必然的と思えない造形のメロディで埋めてゆく感じ。和声のカデンツの段取りがまだるっこく、こちらの想像力のほうが先に走って「待たされる」感じ。

こちらの予見の及ばない想像力の領域に連れてゆかれる、しかも「スピード」「推進力」をもって先導される、そういうワルツがあるんだ、と最初にびっくりしたのは、 'Chim Chim Cher-ee' でだった。コードが1小節毎に変わる感じ。メロディや和声の造形が内側から推進力を生む感じ。これはわたし的「美」の一典型になった。

(スピード感のある「美しい」ワルツとしては、ビートルズというかハリソンの 'I Me Mine' があった。ただ、当時そう思ったけれど、いま聴き直すとやや印象がちがう。)

 

「美しい」ワルツの極め付きは、これだった:

私の聴いた録音はこれだった。メロディの都合で小節数が半端になる感じ。とかいう以前にメロ自体、それと和声の関係、が陶酔的。0'15"~0'28" の弦のオブリガートとかもう泣ける泣ける。

小林亜星は夥しい数のアニソンや CM ソングを書いたようなのに、この霊感の籠めよう、この丁寧な仕事。

こちらは実際に放映されたものみたい:

ひみつのアッコちゃん」では、世間的には ED の「すきすきソング」のほうが評価が高いようだ。たしかに「庄内おばこ」をロックンロールでやっつけたような着想はポエティックだし、当時絶大のインパクトだったに違いない。

Gentle Giant 'Intro 76'

私が初めて聴いた Gentle Giant のアルバムは、2枚組ライヴ盤 "Playing The Fool"(Chrysalis、1977年)でした。

なので、初めて聴いた曲は 'Just The Same' …ではなく、'Just The Same' の演奏が始まるのに先立って会場に流れてるテープの曲でした。

1997年に Alucard から出た2枚組未発表マテリアル/デモ/アウトテイク集 "Under Construction" に 'Intro 76' として収録されています。

これのトラック16、43'31"~45'12":

(Disc 1、Disc 2 に分けてつべが上がってて、これは Disc 2 です。)

ここでは、次のトラック 'Just The Same' のデモ・ヴァージョンにメドレーでなだれ込む編集になってます。

"Playing The Fool" では、これの 44'15" あたりからフェイド・インして始まっています。"Under Construction" ではその44秒ほど手前から聴けるわけですが、これとてフルサイズといってよいのかどうか、微妙です(途中から始まってるようにも聴こえます)。実際にコンサートで流れたもののライヴ録音のようですが、元のテープの形では残ってないのでしょうか?

コンサートのオープニングのテープの曲は少なくとも2曲あり、両方とも "Under Construction" に収められています。上掲つべ=ディスク2のトラック14の 'Intro 74' と、トラック16の 'Intro 76'。

それぞれ "The Power And The Glory" の出た年、"Interview" の出た年に、作られ、使われたということですね。

'Intro 74' のほうは、元テープ?とも思える音源が、単独で上がってます:

 

"Playing The Fool" で 'Intro 76' を知ってた時は、正体が判らず(GG オリジナルなのかアリモノなのかすら)、音色と、デュファイみたいだったりファンファーレみたいだったりの節回しの魅力、そしてフェイド・インで始まって部分的に垣間見えるというありように、そそられました。Gentle Giant に魅了された理由の大きな部分を、実はこの曲が占めています。

メモ(「危機」と『海洋地形学』)

ティーフの関連付けで曲を構成するという時に、いっぽうでは、聴き手あってこその曲だから、聴き手に判りやすくくっきりと示すことが重要、そしてそれが聴き手の「物語のたっぷりとした読後感」みたいなものに結び付く時に初めて意味を持つ、という立場があるでしょう。

'Close To The Edge' の構成を「巧み」とか「感動的」とか評価する時、この立場から見てると思います。

もういっぽうでは、曲は、作曲者の「世界」の具現、作曲者の内的な欲求であって、曲を内側から有機的に組織することが重要で、表向き一聴してリプライズや変奏と判ることは必ずしも必要ではない、という立場があり得ます。作曲者は、すべての箇所、すべての瞬間に「必然」が欲しい。パーツがそこにその形であるということの必然を保証するものとして、「モティーフの関連付け、それが有機的であること」が要請される。

"Tales From Topographic Oceans" は、'Close To The Edge' のようには、聴き手にストレートには訴えかけないかもですが、モティーフ設定とその関連付けにおいてはこちらの方が、饒舌で豊穣だし、表層の効果で終わらせてない。

 

曲が世界の読解ではなく、曲自体が世界であろうとするなら、世界はそもそもそんなに都合よく見えやすいものではないし、聴き手的にも、読解を与えられるよりも聴き手自身が世界に面と向かって積極的に読み解くことのほうが楽しい、ということはあると思います。