偶然とアンサンブル

サディスティック・ミカ・バンド「墨絵の国へ」での、歌詞の朗読パート×2って、

① 録音時、他のトラックを聴いておらず、あとで編集もせず、偶然の齎すタイミングの「ズレと噛み合い」だけを尊重してるのか、

あるいは、

② ある程度は他のトラックを聴きながら読み、「アンサンブル」を企図してるのか、

どっちなのでしょう?*1

2'18" 目~。

コンセプトとしては前者の方が意味がありそうですが、作品として形を整えるためには後者ならざるを得ないでしょうか?

これを聴く時、高橋幸宏の顔が浮かんでますが、違うかも?

(動画の最後ぷっつり切れるのは、次のトラック(「何かが海をやってくる」)にメドレーで繋がるからです。)

 

Pink Floyd 'Pigs' と 'Sheep' のあいだのフィールド・レコーディングで、たくさんの羊のめいめいのメエメエが、1か所だけ一同のタイミングが合うのは、意図してあの箇所を採用してるのでしょうか? ちょうど 'Sheep' の演奏に入る直前だし、意図かな?

「”群衆” の中の ”個” たちが ”団結” する」という意味を込めてる、と解釈すれば、Waters 的でしょうか?

 

鈴木治行氏のごく初期の作品に、昔話を朗読したものがあります。

おそらくカセット MTR か何かの2つのトラックを使って、氏ご自身が朗読してるとおぼしきそれは、2つのパートが、交互に1音節ずつ読んで、次第にアチェレランドする=間を詰めてゆく、というもの。

最初は文章の体を為しているのですが、アチェレランドするにつれて「交互に1音節ずつ読む」ことが技術的に困難になってゆき、ある時点でついに「アンサンブル」が破綻し、無秩序が出現する。

 

これがある方へのエアリプでありネタである、ということを断らずにツイートしたことは、私の年齢について各方面に誤解を与えたかも知れません。

*1:追記

書き方がマズかったです。

「このズレの効果を得るために、偶然に拠ってるのか、緻密に作ってるのか、というところを疑問に思った」という意味です。

ただ、今ふと新たに思ったのは、もしかしたら「歌に朗読を併置する」というところまでは事前のアイデアとしてあって、朗読を何テイクか録って、そのうちのひとつを採用するつもりが、2つのテイクを(意図的にかはずみでか)重ねてみたら面白かった、という経緯だったのかも?とこれはまったくの想像です。