メモ(詩) 2

2人がかりで詩を書く。

場を共有しつつ1行ずつ交互に書き継いでゆくにせよ、ファイルを往復させて「書き継ぎ」だけじゃなく編集の自由度を大きく取るにせよ、問題となるのは「いつが書き終わりか」。

自分の中にアイデアがあってそれを形にするというのではなく、他との間に開かれた、どっちに転がるか予測出来ない状態なので、

書いてるあいだは「書き終わり」「完成」を目指してないはず。

それを、ある時点から、意図的に終わらせる機運に持ってゆくのは、無理な力の掛け方に気を散らすことだし、そうする意義も薄い。

 

むしろ、

「書き継ぎ・編集によって変化してゆくこと自体を本質とする作品」

である方が面白い。

 

完成形を「予想」することも出来ないし、

いつか、これで完成、と思えるまで続ける、というのとも違って、

際限なく、というか「飽きるまで*1」続ける。その変化のプロセス自体が作品の本体である。

 

 

ちなみに、前回のこれ

で、「切り刻んでシャッフルして並べ替える」において、切り刻む単位を「文」にするか「節」にするか「句」にするか「文節」にするか「語」にするか「音節」にするか「音素」にするかによって、出来るものが全く違う。コンテクストをどのレヴェルまで断片化するか。

*1:どちらか一方からの「飽きたのでこれで終わりにしたい」という合図として、

「アーメン」

って書いたりする。