2人がかりで詩を書く。
場を共有しつつ1行ずつ交互に書き継いでゆくにせよ、ファイルを往復させて「書き継ぎ」だけじゃなく編集の自由度を大きく取るにせよ、問題となるのは「いつが書き終わりか」。
自分の中にアイデアがあってそれを形にするというのではなく、他との間に開かれた、どっちに転がるか予測出来ない状態なので、
書いてるあいだは「書き終わり」「完成」を目指してないはず。
それを、ある時点から、意図的に終わらせる機運に持ってゆくのは、無理な力の掛け方に気を散らすことだし、そうする意義も薄い。
むしろ、
「書き継ぎ・編集によって変化してゆくこと自体を本質とする作品」
である方が面白い。
完成形を「予想」することも出来ないし、
いつか、これで完成、と思えるまで続ける、というのとも違って、
際限なく、というか「飽きるまで*1」続ける。その変化のプロセス自体が作品の本体である。
ちなみに、前回のこれ
で、「切り刻んでシャッフルして並べ替える」において、切り刻む単位を「文」にするか「節」にするか「句」にするか「文節」にするか「語」にするか「音節」にするか「音素」にするかによって、出来るものが全く違う。コンテクストをどのレヴェルまで断片化するか。