メモ(詩) 3

アメブロのほうでコメント頂いてやり取りする中で気付いたことがある。

 

これの前半の「生涯初めて書いた詩」について。

基本デタラメで書いたのではあるけど、「自分の意思で動いてるつもりで、何か大きな力に動かされてる、であるからこそそこで自分でいられる」という気分では一貫してるかも知れない。

 

後半の「朗読出来ない詩」について。

詩はふつう、言葉をリニアに連ねて、左から右、上から下に読む約束になってる。

私のこれは、「視覚的・グラフィック」であることと、「時間の流れが無い・読む順序が判らない」ことを意図した。

ただ、これを「朗読出来ない」とするよりも、「画面上にちりばめられた語 or 文節 or 句」を、「どんな順序で朗読しても許される」とする方が面白かったかも、とも思う。

 

共作における方法を一般化はできない、と気付いた。

私の場合、相方と私の指向(詩作についての、思想についての)がたまたまおそろしく似通ってるので、スムーズに運ぶぶん、スリリングさが無かった。

指向に差がある、場合によって対立する相手と組んで作る場合は、プロセスの執行自体に危うい緊張を孕んだりして、同じ方法を使っても転がってゆく行方が違ったり、別の方法を考えた方が良かったりするのだろうな、と。