終わり良ければ城で持つ

アメブロ中野D児氏が

フェイドアウトってのは、音楽家や制作者の手抜きや横着の証明」

「物事には、始めがあれば終わりもある」

フェイドアウトってのは、その終わりから目を背けている」

とお書きになってて、私は共感してリブログしました。

ただ、もう少し厳密に考えてみると、つまりは「意識的であるかどうか」の問題です。

 

曲の終え方が重要、と以前書きました。
shinkai6501.hatenablog.com

曲の終え方を、重要視してるし、聴くのを楽しみにしてる。終え方のどんな工夫を聴かせてくれるのか。

そこで「明確なエンディングではあるけど、常套手段」だと、がっかりする。

ぎゃくに、フェイドアウトであっても、表現の必然からそうなってるフェイドアウト、というケースもある。Genesis "Supper's Ready" のラストは「神の国の=永遠の開始」なので、あのフェイドアウトが唯一取りうる方法である。

 

作り手の意識のいっぽう、聴き手側にも「最後の一音がミュートされ、リリースの振動が止まり、リヴァーブのしっぽが可聴のスレッショルドを下回り、音楽が静寂の向こう側に還ってゆく」まで聴き届ける、という姿勢でいる人は、むしろごく少数かも知れません。

つべのUP主にも、そこに無神経な人が多い。

Gentle Giant "Free Hand" のラスト曲 'Mobile' は「意識的な終え方」の例ですが、つべで、これを台無しにしてない(最後が切れてない)のは、このひとつだけです:

www.youtube.com