下書き放出(Roxy Music)

アルバムを評するのに、「まとまりを欠く」ことを欠点として論うのをよく目にする。

「まとまり」に何かのプラスの評価を置くということが私には解せない。ことにプログレでそれをやられると、メタル聴いてろ、ってなる。プログレすなわち「好き勝手」だ。創意が最大に鋭くあることのみを期する。その結果ガチャガチャしたりハチャメチャになったりを、体よくまとめることのために消費する配慮は持ち合わせない。むしろガチャガチャでハチャメチャであればあるほど、私なぞはワクワクする。

 

そもそも「まとまり」という語で何を言わんとするのかは、評者まちまちな筈ではある。

① 已むに已まれぬ表現欲求に随い、じじつ表現すべき内実をもつ。作品の成否とはすなわちこの表現の成否のことだ。

「まとまり」を以て評価することは、この表現の内的必然を見ないことなんじゃないか? 

② 表向きのまとまりとは別次元で、通底するもの、作者の意図が脈絡としてあって、これは聴き手の積極的な読み解きを必要とする、という場合がある。

③ 音楽を、享受し消費するものと見做す聴き手は、エンタテインメント「作品」としてのクォリティ、商品価値の一環としての「まとまり」を要求しもするだろう。

音楽に自らが積極的に関与し読み解くことを喜びとする聴き手は、「まとまり」としてお膳立てされることを、むしろ楽しまない。自らの関与が作品を完成させると思ってる。

 

Roxy Music の聴き方が判らない。とくに "Stranded" 以降= Eno が抜けて以降の。

私は作曲でしかロックを聴いてない。といって、創意の poetic さ*1に目を開かされてびっくりしワクワクしたいんであって、既存の書法を駆使してるとか完成度が高いとかは求めてない。

Roxy Music は作曲を疎かにしてる。そもそもデビュー時から技巧としての作曲力は壊滅的だったわけだが、「闇雲な表現欲求」「わけのわからなさ」だけはあった。

デビュー・アルバム "Roxy Music" 所収 'The Bob (Medley)' の、アレンジと曲構成の「前例を踏襲しなさ」は、私の求める poetic だし、プログレだ。

'Sea Breezes' はとくに、3'32"~ 6'14" のドラムのために、貼る。

「フレーズ」(「パターン」ではなく)であること、場にセンスを尖らせて即興的に造形してること、つまり瞬間瞬間音楽が「生きてる」ことが大事。

ミックス的に、もっと低音域があってタム回しに質感があるといいのだけど、その点は次作 "For Your Pleasure" 所収 'For Your Pleasure' の 2'06"~ で実現されてる。

Eno のシンセが面白いといっても、それと曲とが別文脈でただ併置されてるだけ、という気味がある。

以前は私、だったらイーノのソロ・アルバム、"Here Come The Warm Jets" "Taking Tiger Mountain (By Strategy)" を聴いてればより完全に満足出来る、と思った。

今は、その「まとまらなさ」こそが初期 Roxy Music の本質であり魅力、と思う。

 

「作曲」で聴く。あと、私は「音楽は超俗」と思ってる。

Roxy Music はヴォーカリスト Bryan Ferry のバンドだ。彼の詩ありきで、作曲は詩のメッセージを乗っけて運ぶ道具に堕してる。だいいち彼の詩世界(を私はほぼ理解してないけど、どうやらそれ)は「通俗」のものだ。恋愛とか。

あと、私はアーティストを「キャラ」で評価しない。Ferry のキャラが Roxy Music の人気の大きな理由かもだけど、私はどうでもいい。

"Stranded" 以降、ハチャメチャさが=わたし的聴くべき要素が無くなった。シティ・ポップ渋谷系の通俗に縁が無いのと同じ理由で、Roxy Music も、あとの時期ほど、縁遠い。

*1:poetic とは、低エントロピー状態、目覚ましさ、メリハリ、瞬発力のこと。これを何故「poetic=詩的」と呼ぶのかは咄嗟に見えにくいかもだけど、「prosaic=散文的」の対義語、といえばピンと来てもらえると思う。