Gnidrolog "...In Spite Of Harry's Toe-Nail"

造形の鬼。

私は Gnidrolog を10数年前、ユーロ・ロック・プレスのディスク・レヴューで知ったのだけど、VDGG が引き合いに出されてた記憶がある。じつは私、未だに VDGG が本当にはピンと来てない。どうしても Peter Hammill が詩人であり過ぎて、音楽が音楽自体としての自律を徹底できてない印象がある。出音としてバンド・サウンドとしてかっこいいということはあるけど、それと「作曲・造形」ということとは別問題で、そして私はもっぱら作曲に興味がある。

Gnidrolog は造形で押して来る音楽なので、私は VDGG よりもこっちのが好きだったりする。

大胆な不協和な響きの連続が、不協「和音」、不協和音「を使ってる」、というよりも、線的対位法のせいだったり、内側から湧いてきて造形されたフレーズ同士がぶつかり合う結果だったりする。

どんな不協和音を使おうが、それが外枠たる「コード進行」として発想されてる限りは、つまらない。

 

1st. アルバム "...In Spite Of Harry's Toe-Nail"(1972年05月リリース)は、やみくもな表現欲求がすさまじい。内発的造形たちがこれでもかと犇めき合って、轟音と静寂、シニカルとリリカルがじかに隣り合って、常にピリピリと緊迫してる。

オープニング曲 'Long Live Man Dead' は、2つの部分、'Long Live Man Dead' と 'Skull' からなる。ここではそのひとつ目 'Long Live Man Dead' を。

そういう造形ゴリゴリの数曲と対照的に、ラスト曲でタイトル曲*1の 'In Spite Of Harry's Toe-Nail' だけは、コンヴェンショナルなブルーズの循環コード~ブギのリズムパターンから、最後はワンコード上でのジャムセッション的な「勢いだけがある」ものになる。

ボートラは1969年の録音を含むのだけど、既に造形への意識的な創意が認められる。

 

ところが、2nd. アルバム "Lady Lake"(1972年12月リリース)は、曲構成が「コード進行」によってるし、そのコード進行自体がⅠⅣⅤ的に在り来りだったりする。展開がまだるっこく、段取りを緊張感無く消化するのを聴く側が待たされる仕儀になる。

これは「洗練」ではなく「創意の枯渇」だ。不幸なことに、この 2nd. アルバムは美麗ジャケで知られてて、予備知識が無ければ間違いなくこっちを先に手に取ることになる。こういうバンドなのだと納得して、真骨頂たる 1st. アルバムに辿り着かない聴き手が多いのではないか?*2

たしかに 'Lady Lake' と 'Social Embarrassment' の2曲には造形がある。でも 1st. のハチャメチャに較べれば大人しいし、こういう造形センスが残ってるのならなぜ他の曲の惰性を自らに許せるのかが謎となる。

あと、サウンド・プロダクションというかトラック・ダウンは、2nd. のほうが高品位だ。1st. の、リヴァーブが少なく音場感の無いトラック・ダウンは、デモっぽくすらある。

*1:「...」が無いので厳密にはタイトル曲といえないけど。

*2:"...In Spite Of Harry's Toe-Nail" のジャケも、「地味」ではあっても、断じて「手抜き」ではないのだけど。