今朝グレゴール・ザムザが何か気がかりな夢から目を覚ますと、家の電気が止まってた。
まず停電を疑ったが、お隣りに伺って、電気が止まってるのがうちだけなのが判明した。
ブレイカは落ちてない。
電力会社に問い合わせると、11月の料金が未納で、これが原因だった。
問題は、私自身の意識が、全くあてにならないということ。
11月分の払い込み用紙を見落としたこと。その後未払いのお知らせなり催告状なり督促状なり送電停止の予告なり解約のお知らせなりが、何段階かで、来た筈なのに、悉く見落としたこと。
送られて来なかったんじゃ?と思いたくなるけど、見落としには自信がある。私の見落としだと判断する根拠がある。前科がある。以前、部屋の片づけの際、数か月前に受け取った何かの公的な封書が出て来たことがある。しかも開封済みだった。未開封のままうっちゃってたのではなく、私自身が確実に一度は目を通し、かつ完全に忘れ去ってた。
そもそもいっぱんに意識が意識自身をチェックすることは原理的に不可能だし、私自身についていうと、昔はもっとしっかりしてたのに、と思いもするけど、じつは昔からぼんやりしてて、自分がぼんやりしてることに自分で気づいてなかったのかも知れない。そのくらいぼんやりしてたのかも知れない。
なんしろ、2年前の3月から4月にかけて入院があって、それ以来、輪をかけて自分の意識に自信がない。
ICU から出て、頭がぼんやりして現実感が無くて、判断ミスを犯しがちなのを、当初は眠剤の効き目が残ってるから、と思ったけど、結局それが回復しないまま退院。もう元の私には戻れないのか、と危惧した。その後10日ほどで、たぶんこれが入院前と同じ状態だろう、と思える程度に回復した。
ぼんやりの状態に順応した「慣れ」の要素もあるかもだし、どの程度のクリアさをもって十分なクリアさというのか、もう判断基準自体がぐらついてる。
電力会社との電話でのやり取りや、ファミリーマートのマルチコピー機での支払の操作は、非日常で、楽しかった。また止めちゃおうかな。
ダメです。ご多忙な電力会社の方の余計なお手間を生じてしまったこと、申し訳ありません。
入院前、最後の記事投稿は何だっけ?
これだ。
私は sakana の良い聴き手ではない。
1st. アルバム、自主制作の "Les Blanchisseuses"(『洗濯女』、1988年)で知って、棘の取れない、ガチャガチャとしたまま放り出された音楽を、最高にクリエイティヴだと思った。「音楽の生まれる現場」のワクワク。
これが私の sakana 像になってしまったために、その後聴いたものはどれも、(sakana のリリース順としてもその後のものということになるわけだけど、)整い、洗練されてるぶん、私が切実に大切に思う要素が捨象されてる、と感じた。
これはアーティスト側からしたら心外なことだ。本当にやりたいことが達成されてるほうの作品を評価しろよ、という。
いっぱんに、1st. アルバムから、あるいはメジャー・デビュー前から知ってるファンが、自分こそ「にわか」とは違ってアーティストを本当に理解してる、と思うということがあるとして、これは新規ファンにとってだけでなく、当のアーティストにとっても、筋違いで迷惑な場合が多いのだと思う。
追記
上がってたのか!