「Katra Turana と 坂本龍一」などというタイトルのもと、しかし「坂本がカトラを全国放送で取り上げた功績」についてだけ書いた。両者の音楽の中身の関係や相互の影響については書いてないし、それはほぼ無い。
私自身、今まで何度か触れたように「坂本だろ?」と言われるのを嫌う。
理由は大きく2つある。
① 音楽について知らないことが何ひとつ無い、というような人物なのに、アウトプットが貧しい。ここまでやっておけば世間は納得するだろう、という、手加減というか、打算というか、を感じる。
そう感じるのは、作品が磨かれきってるからなのかも知れない。エッセンシャルな作品の背景に膨大な知識と見識がある、ということに驚くべきなのかも知れない。でも私は「大山鳴動鼠一匹」と捉えてしまう。
彼の音楽に「突き動かされる」ということが無い。もしかしたら、彼自身「インスピレイションに打たれる」の類を信用してなくて、意識的にそれを捨象したところでやってるのかも知れない。でも、もしかしたら、打たれることが「出来ない」のかも知れない。クリシェで片せば「天才ではなく秀才」なのかも知れない。そして私は天才に興味がある。
② 私が大事に思う分野と、人脈やファン層が近接してる。
つまり「ごっちゃにされること」への嫌悪。「えっ、嫌いなの?」と驚かれそうで、そこにこそ「嫌い」のキモがある。
近接してる、ということは、微妙な思いをする機会を避けられない、ということでもあるし。
そのうえで、でも、坂本がカトラをオンエアしたというエピソードに、「目利き」としての彼を再評価した、というのが前回のあらすじ。
聞いた話。Zypressen の CD の宣材づくりか何かの折に、メンバーが影響されたアーティスト名を挙げる、ということがあって、どなたかが「坂本龍一」をお挙げになろうとしたところ、Chihiro S. 氏がそれをお止めになった、ということがあるらしい。
じっさい私なら、坂本の名前が挙がってるのを見たら、CD 買わないかも知れない。
いっぱんにプログレ者にとっての坂本は、そういう位置なのだ。
ついでに、Golden Avant-Garde について。
ある方とお話ししてると、「Golden Avant-Garde について Chihiro S. 氏ご本人が『超絶技巧』云々と仰ってるけど、とてもそれを謳えるレヴェルではない」とご批判になった。
私は評のポイントがずれてると思ったけど、その方と議論はしたくなかった*1。
本当に Chihiro S. 氏がそういうことを仰ったのか、あったとして、それは半分以上シャレなのではないか?
(氏ご自身が「自分は必ずしもテクニシャンではない」と、どういう機会でか、仰ってたようだし。)
氏は、私のイメージだと、まずなによりも作曲家だ。ベーシストであるよりも。
あのアルバムの意義は「トラックダウンでやれることをとりあえず全部やってる」過剰な音像にあるのではないか? Zypressen のアルバムのトラックダウンが自然で穏健な美しさに満ちてるのと対照的に。
あと、ユーモア。私は、Chihiro S. 氏ご本人は知的な「ユーモリスト」でいらっしゃるのに、Lacrymosa の音楽は何故あんなに真面目一辺倒なんだろう?と不思議だった。
Golden Avant-Garde を聴いた時、留飲を下げた。「あーーここでやってるやってる!」と。
関連記事:
*1:ちなみにその「ある方」ご自身が超絶技巧のベーシスト。