Beardfish

Beardfish はリアタイで "Sleeping In Traffic: Part Two"(2008年)だけ聴いた。作曲はほぼキーボーディストでリード・ヴォーカリストの Rikard Sjöblom による。

6分~8分ほどの数曲は、poetic な造形が畳み掛けられて密度があるうえに、羽目を外し気味なユーモアもある。

いっぽう、表題曲 'Sleeping In Traffic' は、35分あって、アルバム74分の殆ど半分を占めるのだけど、「造形として工夫のないいくつかのリフ」の「工夫のない繰り返しと工夫のない羅列」が35分間を「ただ埋めている」。小曲で見せる審美眼が、なぜこの prosy さを許容出来るのか、謎だ。

退屈の種類としては、England 'The Imperial Hotel' の3分目以降か、ラヴェルシェエラザード:お伽話への序曲」に近い。

その 'Sleeping In Traffic' も、20'58"~ では私の好きな羽目外しが出て来る。より正確にいうと、19'52"~ の爽やかなパートが、20'58"~ の羽目外しのパートを経て、21'41"~ に再現する際に、両者のヴォーカル・スタイルが混ざってしまう、爽やかパートが羽目外しに侵食され汚染されてるところが、わたし的聴きどころ。

でもそのすぐあと、「'70年代のディスコ・クラブ」の音楽、Bee Gees 'Stayin' Alive' が記号的に引用されるのは、解せない。ディスコ・ミュージックがいけないのではなくて、その引用のしかたが記号的なのがいけない。

33'02"~ 34'48" の、白玉コードだけで出来た耐え難いパートを耐えれば、この曲中ではいちばん気の利いた造形のエンディングにありつける。

この長さにする必然が、私には解らない。35分という分数としてはプログレで最長ではないだろうけど、最冗長ではあるのではないか。

 

Sjöblom のヴォーカルは、声質的にも、キャラ的にも、私には強迫的だ。でもそれをいうと、(私のいちばん好きなバンドである Gentle Giant の)Derek Shulman だって、理想的ではない。

 

ちなみに、England 'The Imperial Hotel' はなぜ退屈なのか。

各部分の構成が「4拍×4小節×4楽節」で、間が持たないから。

なぜそうなるのか。

基本この音楽は「歌の伴奏」であって、詞には展開がある(私は英語判らないけど、たぶん)けど、曲が自律的に展開しないから。

掴みでは「おっ!」となる。でも3分目くらいで気づいてしまう。繰り返しや循環コードの多用、構成の硬直からくる退屈を、ときどき曲調やパターンに変化をつけることで紛らす、という流儀なのだと。

就中、終盤、7拍子を、まるで伝家の宝刀みたいに繰り出して、これでここまでのすべての退屈をチャラに出来るという料簡ででもあるかのようなのが、腹立たしい。

ちなみにこれは24分ある。

 

'Stayin' Alive' の引用としては、Split Enz 'The Coral Sea'("True Colours" 所収。ラスト・ナンバー!)が目覚ましい。ディスコ・ブームに乗ったレコード会社の無茶振りの所産なのか、自主的な「ディスコ批評」なのか、事情は判らないが、'Stayin' Alive' を痛烈に揶揄しつつ、クラウトロックに連なるような音響。