半獣神の午後「赤仮面」

私も同様の回答を思い付いたのに先を越された! 素直に口惜しい。

認知症者は自分の認知症を認知するのが難しい、という認知症特有の事情を踏まえての回答、ではあるんだけど、もう少し一般的に「主観の危うさ」を言い当ててるとも言えそう。

 

で、この御ツイートを拝見して、半獣神の午後の「赤仮面」という曲の歌詞を思い出したのだった。

バンドのある時期までの、ライヴの定番曲のひとつだった形跡がある。題材はポウ「赤死病の仮面」由来なんだろう。

思い出したのだった、と言ったのは嘘で、細部が覚束ない。今手許に CD などの資料が無いので、どこまで思い出せるか、やってみる。

以下。きっと不正確*1

 

私の妻はいつもいつも薔薇の園で

赤く大きく開かれたその目で

私の知らないたぶんこの世のものではない人を嬉しげに追っています

自分が穴だらけであること忘れ

 

ああ私の前では正気装い笑顔作り

それでも私気付いてる

 

世間に蔓延る病をうつされ

哀れ妻ほんとに可哀想

せめて私の手で安らかに速やかに眠らせにゃ

 

人は果敢な私を怖れる ワハハワハハワハハワハハワハハ

愛しい妻を渡しはしないぞ ワハハワハハワハハワハハワハハ

屋敷中の窓を開け 月の光を浴びまくる

 

発作は歓喜の声と似すぎてる ワナナ ワナナ ワナナ ワナナ

頭ウネウネ体温上昇 ワナナ ワナナ ワナナ ワナナ

ご先祖の肖像画 私を称え笑い出す

 

夜のうちに彼女を埋めてしまおうと

手にロープ持ち部屋のドアを開ける

闇の中に彼女を抱いているそれは

呪われた病魔 死神赤仮面

エクスタシー予感が私を襲う

 

以上。

終始「私」の1人称で、妻の異常と、それを救うための自らの行動が(自らの正当性に疑いを挟む視点のないまま)記述され、全体として、どう見ても異常を来してるのは「私」の方だろ、とツッコませる構造。

 

ところで、この曲の最も知られたヴァージョンはおそらく、あきらこ氏のソロ CD『半獣神の午後』所収のものであるが、このヴァージョンについての評で、唱法が、それ以前のカセット MTR による宅録ヴァージョンに較べて「ふっ切れた感」「鬼気迫る感、取り憑かれた感」が無くてつまらない、というのがある。これについて、僭越ながら擁護しておく。

この曲のヴォーカル・ラインは、臨時記号を頻繁に使った精妙なもので、音程を正確に取るのが非常に難しい。そしてインスト・パートが1度と5度だけで出来てるために、3度を正確に取らないと「長調」なのか「短調」なのかすら曖昧になる(短調です)。曲の造形とトーンを示す役割を、ヴォーカル・パートが担ってる。

MTR ヴァージョンでは、ヴォーカル・ラインが、キーボードによってなぞられている。このため、音程の明示はそちらに任せて、ヴォーカルは些事を気にせず思い切り狂うことが出来る。

対して、CD ヴァージョンではこのなぞりが無い。曲の造形の妙を示すために、ヴォーカルが「音程を正確に取る」ことをまずもって心掛けなければならない。

こういう事情があるのです。

*1:追記

ところどころ思い出せないままいったん投稿、その後なんとか全部思い出して加筆しましたが、まだ数か所確証が持てないです。