昔 BS でビルギット・ニルソンのドキュメンタリーを見た。
具体的内容はまったく憶えてない。ただ「同じ『音楽』の枠内で、こうも価値を共有できないということがあるのだ」と強く思った記憶がある。
「論点をめぐって相容れない」のではなく「論点を設定できない」という感想*1。
ニルソンとブレーズが一緒にいる現場って、どんなだったのか?
「キング・クリムゾンのファン」という括りが価値の共有を保証しない。「LTIA1」や「フラクチャー」を好きな人と、「エピタフ」や「スターレス」を好きな人とは、「論点を設定できない」。
クリムゾンを「どう聴いてるか」と「どの曲を好きか」との間には相関がある。
早い話「エピタフ」や「スターレス」を褒めてるブログ記事には「如何にもな文体」がある。
ヘンリー・カウ初心者にお薦めするのに 'Ruins' にするか 'Living In The Heart Of The Beast' にするか迷ったら、両方お聴かせすればいい。
ジェントル・ジャイアントは、アルバム "Octopus"、"In A Glass House"、"The Power And The Glory"、"Free Hands"、"ĭn'terview" だけをお薦めしておけば済む。
でもクリムゾンの場合、どうしても4曲必要だ。これ以上絞れない。
'LTIA1'、'Fracture' は外せない。
'The Great Deceiver' があれば、'Cat Food' は、泣く泣く、外せる。
そして曲調のバランスを取るために、じゃなくて絶対に挙げなければならない、これ:
この曲の美点は数々あるし、すでに論じ尽くされてると思う。
私個人の事情をいうと、この曲がかけがえない心象の一部として刻まれた理由のひとつが、ヴォーカルのミックス処理の感じ、なのです。
スタジオ録音セクションに入ってから、2分10秒目以降の。
ウェットンの歌いぶりにはエモーションがあるけど、それをそれとして聴かせるというより、音量を押さえ、イコライジングとコンプでむしろ無機質で毛羽のない、抑えた質感に処理したヴォーカル・パートという部品を、コンポジションの要請からそこに「嵌め込んでる」、と聴こえた。
まえに Pink Floyd 'Echoes' のヴォーカル・パートについて「『歌ってる』というより、造形として『ヴォーカルが置かれてる』」「『プログレにおけるヴォーカル』の唯一ありうるあり方」と書いた、それに近い佇まいを、ここにも感じた。
ただ、最初に聴いてたのはアナログ盤で、その時のオーディオ環境やルームアンビエンスの条件や、私自身の鑑賞態度に拠るものかも知れず、いまこのつべのエディションを聴くと、じつは若干印象が違う。
この曲は「叙情曲」かもだけど、これを重要視し心底愛し、クリムゾンの代表曲に挙げるのは、「エピタフ」の聴き手ではなく「LTIA1」「フラクチャー」の聴き手なんだと思う。
*1:追記 御コメ頂戴し、やりとりさせて頂く中で気付きました。私のニルソンと共有できないと思ったのは、演奏内容ではなく、インタヴュー内での発言内容でした。