強弱法

例えば、弦楽オケで、個々の奏者がトレモロをやって、全体としてざわめきを作ってる場合、これをクレシェンドさせるのに、個々の奏者がクレシェンドするのではなく、個々の奏者はただひたすら機械的に同じ強さでやってて、奏者の「人数」を徐々に増やすことによってクレシェンドを得る、というようなこと。

 

ひとつには、部分と全体の関係がどうあるべきかの問題。個々人は個々人の仕事をやってる。それらがたくさん寄り集まって全体としての構造を作る。それぞれ別の次元の出来事。

今ふと思い出したんだけど、映画の演出で、子どもが大勢「ワ――――」と声を上げながら走り過ぎてく、というシーンを挿入するのに、下手な演出だと、個々の子どもに「ワ――――」と言わせてしまう。個々の子はそれぞれ好き勝手喋り叫びしてて、全体として「ワ――――」と聴こえるのであるのに。

 

もうひとつには、個々の奏者がクレシェンドすることに「わざとらしさ」を感じてしまう、場合によってそこに「感情」の動きが介在してしまいもする、それを避ける強弱法が欲しい。

 

ヴェーベルン「5つの断章」Op.5 はもともと弦楽四重奏で書かれ、のちに弦楽合奏に編曲されたけど、この編曲はたんに弦楽四重奏弦楽合奏に移したのではなく、強弱を奏者の人数の増減を使って得てる、そのために各パートの人数を複数人にしてる、みたいな話をきいたことがある。私は譜面読んだことないので、具体的なことが判らないのだけど。

 

この6年前の打込みは基礎実験で、冒頭9秒間は「強さも長さも等価の『点』が集まって『持続』を作ってる、点の集まり方の『密粗』がすなわち『強弱』である」をやろうとしてる。でもパート数が足りなくてはっきりした効果を挙げてない。