場って重要、とこれを見ると思う。

 

ここでいう「場」には2つの要素がある。

① 空間。具体的には、広さ、リヴァーブの掛かり具合、壁が白いこと。日常ではない、音楽のための空間。

② その空間を、2人(以上)の人が共有すること。

 

場が作用して音楽が出来る、ということはあるだろう。

2人のアーティストがそれぞれの自室にいて、データをやり取りして、もしかしたら現実の空間で空気を振動させるプロセスなしに、制作されるのでは作れないもの。

 

場に触発される、感覚や意識が活性になる、そこで生まれた音楽が良いもの「である」。でもいっぽうで気を付けねばならないのは、良いもの「に聴こえる」「な気がする」のかも知れないこと。だって、セルフ・チェックする耳が、場の影響を受けてるかも知れないから。雰囲気のある空間で鳴らされる音は、雰囲気込みで聴いてて、音自体に雰囲気があるように誤認してるのかも知れないから。

 

別の、より雰囲気の無い空間に移動して、リプレイを聴くと、つまり客観的に聴くと、あれっ?ってなるかも知れない。

場のノリで作ったものは、あとで冷静になって聴くと、ノリなして作ったものとの有意の差を認められないかも知れない。

ヴィデオに撮ってリプレイすれば、雰囲気が再現されて、依然良いものに聴こえるかもだけど、音だけでリプレイすれば、客観的にチェック出来る。

 

客観的にということでいうと、第3者の視点というのがある。

でも、リスナーである私も映像を視ながら聴いてるわけなので。

作った当人たちが「良い」と思ってる音を、第3者が聴く。音だけで聴くと、当人たちの良いと思ってる点が伝わって来ない。映像込みで聴くと、共有できるものがある。この時、この「共有してるもの」は、音楽的に見て価値があるか?

 

私じつは自分のバンドを組んだ経験が無い。他人様のバンドのメンバー、それもトラに近いようなのが多い。

完全に1人で、あまっさえ音を空間を使って鳴らすことも無くイアフォンでの作業で、やって来た。

明らかに欠落なのだけど、いっぽうで、それゆえの利点もあったかも知れない。

「仲間と和気藹々」とか「音楽内容を二の次にバンドをやること自体が楽しい」とかの邪道を避けることが出来たこと。