もにょりもにょられ

私自身、「もにょる」の原義やニュアンスをいまいち掴みかねて、今に至ってる。巷の誤用というか意味の拡散も追えてない。

 

誤用の一部については、「モヤる」との連想・混同を疑ってる。単なる批判の言葉として受け取る方がいらっしゃるということは、不用意に使えないということ。

 

「もにょる」の意味を腑に落とすために、実例を探してた。でもそれは「私がもにょる対象」を探すことだった。顧みるに、逆に私自身が周囲から大いにもにょられてるのではないか?

 

私は今このステージにいて、そうであるなりの発言をする。現時点での切実な課題に取り組んでるのだから、他人様にもにょられようが遂行するしかない。どこまで行っても途上で、どの地点から見ても先達がいて、後続がいる。

 

もともとは、2000年のとある同人板で「ヘボン(=ヘボい本)」について「自分的『ヘボつぼ』をぐいぐい押すような本に出会ってしまった時」の感じを「おなかがモニョモニョします」といった、この「モニョモニョする」が簡略化されたのが発祥とされる。

 

要は、愛憎入り混じった曰く言い難い感情、むしろベースに愛があるのが「もにょる」、であるらしい。

 

私が勝手に「もにょる」に込めてたニュアンスは、原義からすると誤用の部類だった。「ものすごく思い当たる、わたしもかつてはそうだった」という、新参者への視線。

「温かく見守ってる」のではある。でも心理の本質は「自分の先進ないし優位をいうために対象を引き合いに出す」意図にあるのかも知れない。

「解りつつの見下し」は、真っ向からの否定よりも陰険で、よりコタエる。

 

Tiger Moth Tales について書くはずが、こんなことになってしまった。

もちろん彼は作曲も演奏も図抜けた「才能の人」で、およそ「ヘボい」の対極にいる。私の「もにょる」は「ヘボさ」への感情ではなくて「アオさ」への感情。「12歳の時の私だったら大好きになってたはず」みたいな。