叙情

当ブログでは ①叙情 ②抒情 の表記ゆれがありますが、変換で最初に出たのを使ってるだけです。

 

この過去記事では、まず「詩的 ー 散文的」の軸について、

「詩的 poetic」とは、密度、目醒ましさ、低エントロピー状態、メリハリ、瞬発力のこと

「散文的 prosy, prosaic」はその逆

としたうえで、

じゃあ「叙情的 lyrical」とは? とくに音楽におけるそれとは?

を考えました。

 

答えは

「よく判りません」

でした。

「S君は非常にしばしば『叙情的』の評を貰うらしい。不快ではないが不可解だ、という。

てかぶっちゃけ私自身も彼の曲には叙情を色濃く感じる。

でも何を指して叙情と呼ぶのか、叙情的であることの条件は何か、くっきりと言い切れない」

「多分言えることは、poetic は『意識』なんだ。

lyrical は『気質 temperament』に属するもので、出てしまうものはしょうがないけど、出そうと意識するものではない。

意識するところではないから誉め言葉として受け取れないし、彼が持って生まれた lyrical を私が企図して真似出来るものでもない」

 

 

私自身、叙情的という言葉を、好意の表明として使う場合と、距離を置くために使う場合と、両方があります。

ロックにおいては、「叙情」が「叙情派」の形で「シンフォ」と結びついて、特定のスタイルなり料簡なりを指す言葉になってます。これとは棲み分けたい。

これではないもの。「いっぱんに叙情性とは」ということは語れないけど、私個人の勝手な、好ましい「叙情的」のイメージが、たしかにある。たしかに感じるけど、言い当てられない。

 

日本語だと、「情」の字が入ってるために、「感情」に結び付いたイメージになる危険があるでしょうか?

音楽と感情とは無縁です。音楽は感情表現ではない。音楽と感情との間にいかなる関数も存在しない。感情は不潔ではないが、感情表現は不潔だ。

叙情的というからにはおそらく音楽が音楽そのものとして完結する「即物」ではない。音楽によって聴き手の中に喚び起こされる何かの状態ないし動きがある、というところを掬い取って、ここに価値を置こうとする。

それはときに視覚イメージや文学的感興と隣接してるかも知れない。でも描写ではない。

叙情的とは。ザッハリヒでないこと。でも喚び起こすのが感情ではないこと。

 

柔らかだったり、優しかったりすることが多いですが、これは「叙情的」認定するための必須条件ではない。

ディテイルやニュアンス、微細な構造が丁寧に織り込まれてること、が重要かも知れません。

 

ここまで書いて気付くのは、私がいま「恣意的な線引きの試みに終始してる」ということです。

平生私は「音楽の自律・純粋」をもって貴いとする、と表明しています。でも私にも、音楽を聴くなり書くなりしつつ、純粋に音楽的とはいえないイメージやアイデアを手掛かりとし、縋る場面が、多くあります。都合よく。

これを正当化する、という目論見ありきで、ギリギリのスレスレに、言い抜けるポイントを探ってる。

 

素直になれば済む話です。

 

いやまさかこの原稿がこんな結論に流れ着くとは……

私はただ、叙情的なロックの例として、これを貼りたかっただけなのに: