「2オクターヴは24フレットで正しいんだっけ?」と一瞬迷ってしまった。
「度数」の感覚のせいだ。同度を0度といわず1度という、不合理。
何故こうなんだろう?
もしかして、西洋の数学が「0」について臆することなく考えるようになったのが、インド数学が発明した位取り記数法をアラビア経由で導入してからのことで、西洋音楽理論における「度」はそれ以前に決まった、とか??
素人なので怖さを知らずに書くと、古代ギリシャは 0 の概念を「知らなかった」というより「数学に持ち込むことを躊躇した」んだっけ? 「マイナス」の概念はあったんだよね?
前提というか消極的な理由として、「度」はインターヴァル=「差」を考えるものだから、というのはあるのかな? 周波数みたいに、最小値が 0 である「比」の発想のほうが、合理的にやれそう。
音楽と数学というと、ケプラーが惑星の運動の法則を説明できたのは音楽を本気で援用したからだ、みたいな言い方を読んだことがある。記憶はこの上なく曖昧です*1。
「フラクタル音楽」というタームは聞いたことがある。実作は聴いたことがない。コンピュータなしには不可能なんだろうと想像する。クセナキスの確率論なんかもコンピュータ前提なんだろう、たぶん。
「マス・ロック」に明るくないので、どのくらい mathematical なものなのか知らない。
The Season Standard はマス・ロックですか?
ベルリンのバンドという認識だったけど、もともとはドレスデンで結成されたらしい。
*1:追記 2025年05月15日
私が読んだのは、吉田秀和『LP300選』の「グレゴリオ聖歌」の章の、以下の記述。
「いや、このボエティウスの本を引用しているパウル・ヒンデミットは、その著作のなかで「ケプラーは十七世紀の初めに遊星の運動に関する三つの根本法則を説明したのだが、それは音楽理論を本気で援用したからできたのであって、それなしにはできなかったろう」とさえいっている(『作曲家の世界』佐藤浩訳、音楽之友社)」
中の「このボエティウスの本」というのは、『音楽論』(De institutione musica)で、この中でボエティウスは音楽を3つに分類してる。すなわち、「人間的音楽」(musica humana)、「機械の音楽」(musica instrumentalis)、「宇宙の音楽」(musica mundana)。ふつうに「音楽」と呼ばれてる、声や楽器で奏される音楽はすべて「機械の音楽」。