絵因果経とサンヒロウのオライアス

今朝、家の前に出て西の方角を見通すと、やけに赤く明るい。たんに朝日を受けてるにしては、禍々しく、現実味が無い。

昇ったばかりの太陽の光が、ちょうど道路に差し込む角度で、直線の道路に連なる標識の赤い縁取りが、軒並みこれを再帰性反射させてるのだった。

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赤というか朱色を見掛けると、これをきっかけに、非日常で、大切で、懐かしい「何ものか」が想起される、ということがある。何に繋がってるんだろう? 鳥居? 弁天橋? 道教寺院?

もうひとつ思い出すものがある。『絵因果経』。

私にとっての「懐かしさ」の根っこにあるものを探ると出て来る。たまたま子ども時代に見たから現時点で振り返って懐かしいのか、当時なにか人が帰るべき本来の世界を感じてたのか。後者な気がする。

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絵因果経(部分)奈良国立博物館

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実家にあった日本史か美術史の本の最初のほうに出て来た。『鳥獣戯画』も楽しかったけど、私のより深くに押し入って来たのはこれだった。どこの世界の、いつの時代の、なにごとを描いてるのか、判らなかったが、判らないからこそ、この世界には私の予見の及びもつかない世界があって、そっちのが本来の世界、みたいな感覚を喚び醒ました。

人物の造形が、子どもの私が拠って立つリアリズムの眼(セルゲイ・トカチョフ「『レーニンの灯』と人々は呼んだ」*1好き)からはむしろユーモラスに見えると同時に、それがゆえのなにかしらのただならなさを感じた。これと、朱色とによって、記憶に刻まれた。

 

『絵因果経』が基層としてあるからこそ、プログレ、例えば Jon Anderson "Olias Of Sunhillow" の冒頭2つのトラック、'Ocean Song' ~ 'Meeting (Garden Of Geda) / Sound Out The Galleon' が切実にピンと来た、というところがある。

いま聴き直して、アレンジの念の入りように改めて驚く。'Ocean Song' での左右に振られた撥弦楽器(ディレイを掛けたというより、同じ譜面を2回弾いてるように、私には聴こえる)の各分散和音の最高音とシンセによる主メロがユニゾンで、「撥弦のアタックをきっかけに、これのエコーみたいに、あるいはこれに共振して、シンセの持続音が鳴り出す」と聴こえる。こういう手法を、私はラヴェルのオーケストレイションから学んだと思ってたのだけど、この曲からの影響が大きかったのかも知れない。

 

Yes がいちばん好き、という時期があった。そして Yes はわたし的に「Jon Anderson のバンド」だった。

Yes の多義的な音楽の中に、ことさらに「桃源郷」の要素を聴き取ってた。その要素を、ロックのバンド・サウンドという夾雑物を取り去ってもっと純粋に、もっと徹底的に踏み込んで示した音楽として、"Olias Of Sunhillow" は私の大切な音楽のひとつだった。

*1:追記 2022年12月15日

これです: