妻のシタール練習、二日目の夜には、ドラムを使ってひとりセッションをしていた。
— 戌一(いぬいち) (@inu1dog1) 2020年7月25日
以前どこかで誰かに言われたのだが、まさに習得、応用の鬼。 pic.twitter.com/meWE9RkgJS
演奏なさっているのは、ふくしひとみさん。
私がびっくりしたのは、タンバリンの「付点」。ペダルを「上げる」タイミングをコントロールする、という発想は無かった。ハイハットは踏み込みでだけ鳴るけど、乗っけたタンバリンはペダルを上げることでも鳴らせるわけか。
私が最初に知ったふくしさんは、この御ツイートだった:
2020年2月8日・9日
— ふくしひとみ (@vonchiri) 2020年2月10日
ふくしひとみトイピアノライブ
「からくり獣の贈り物」ダイジェスト動画です。どうぞご覧ください。
2020.02.08-02.09
Toy Piano Live vol.3
By Hitomi Fukushi pic.twitter.com/fuaNKRd2zn
これを見た時の私の感情は「嫉妬」だった。
さいきん更にスキルを上げていらっしゃる:
ディズニーに行ったけどパレードが見られなくて残念がる私に、妻が家にあるものを寄せ集めて、独自のパレード的な「何か」を開催してくれた。 pic.twitter.com/mrlpW7jEXx
— 戌一(いぬいち) (@inu1dog1) 2020年11月13日
アーティストを発見してファンになる、出合頭の感情が「嫉妬」の場合とそうじゃない場合がある。なぜ差が生まれるのか考えてるけど判らない。その人と私の路線や発想がどのくらい被ってるかが関係するだろうし、才能にどのくらい開きがあるかが関係するだろう。
けど、まず、「私が今この路線でやってるということは、そのためにそれ以外の可能性を捨ててきたということだ」というのが前提にあってのことな気がする。
私にはとても思い付けないド外れたアイデアに対しても嫉妬はするし、ふくしさんへの嫉妬はまさにこれだが、これは「ひれ伏す」ことで解決する。もうひとつ、「その手は卑怯!」と思ってたのがじつは「でも正しい」と改心を迫られる時の感情こそ、最も大きな嫉妬なのだ。
私が、意識的に「やっても面白くないし、発展性もない」と断定して取り組まなかったアイデアや、いつの間にか忘れ去っていたアイデアを、他人が使って、しかも見事に創造を展開してるのを見せられた時の、自らの迂闊への悔やみ臍噛み、これが嫉妬の感情だ。
ふくしさんについては、土台にクラシック音楽の豊かで確実な素養があるのだけど、大事なのは、これがほんとうの「創造」のために「生きている」こと。