ノヴェラ ホモフォニー ソプラノ課題

音楽消費人生の大先輩との会話の中で

「カトラ・トゥラーナとノヴェラのファンだった友人」

というパワーワードが飛び出す。

「……それって水と油なんじゃ??」

どうやら「お化粧バンド」の括りだったらしい。

 

私はホモフォニーがダメだ。

でもそれは、既存のバンドにおいてこれが予定調和と結びついてるせい、というのが大きい。

 

「自由なホモフォニー」の取っ掛かりとして「ソプラノ課題的発想」があり得る、とふと思いつく。

 

まず、「メロディ」について。
shinkai6501.hatenablog.com

 

《もしコードなりスケールなりから解放された耳で、音程を、メロディの運びを、選ぶとしたら、そこに働く原理は何なのか》

 《「私の耳の責任で選ぶ」ということ》

 

コードやスケールから自由なメロディがまずある。

そこに、あとから、コード付けする。このとき、メロディの箇所箇所の動きに敏感に反応して、メロ自体が持つ特性を引き出し活かすように、やる。

コード進行自体のセオリーに持続的に沿うのではなく、メロの要所要所に対してピンポイントに、コードやその連なりを置いてゆく。

寄り沿ったり、対峙したりしながら。

 

さっきたまたま Primavera さんのライヴ動画を拝見して転がりだした考えを書いてみました。

そこでは、キーボードとギターが同じコード進行を重ねてホモフォニーに終始していました。

あのバンドは「まずその世界にどっぷりと身を浸す、そうすれば必定クセになる」ものなんだろうな。

 

ところで「シルバーエレファント」の略称は「シルエレ」?「エレファント」?