音楽消費人生の大先輩との会話の中で
「カトラ・トゥラーナとノヴェラのファンだった友人」
というパワーワードが飛び出す。
「……それって水と油なんじゃ??」
どうやら「お化粧バンド」の括りだったらしい。
私はホモフォニーがダメだ。
でもそれは、既存のバンドにおいてこれが予定調和と結びついてるせい、というのが大きい。
「自由なホモフォニー」の取っ掛かりとして「ソプラノ課題的発想」があり得る、とふと思いつく。
まず、「メロディ」について。
《もしコードなりスケールなりから解放された耳で、音程を、メロディの運びを、選ぶとしたら、そこに働く原理は何なのか》
《「私の耳の責任で選ぶ」ということ》
コードやスケールから自由なメロディがまずある。
そこに、あとから、コード付けする。このとき、メロディの箇所箇所の動きに敏感に反応して、メロ自体が持つ特性を引き出し活かすように、やる。
コード進行自体のセオリーに持続的に沿うのではなく、メロの要所要所に対してピンポイントに、コードやその連なりを置いてゆく。
寄り添ったり、対峙したりしながら。
さっきたまたま Primavera さんのライヴ動画を拝見して転がりだした考えを書いてみました。
そこでは、キーボードとギターが同じコード進行を重ねてホモフォニーに終始していました。
あのバンドは「まずその世界にどっぷりと身を浸す、そうすれば必定クセになる」ものなんだろうな。
ところで「シルバーエレファント」の略称は「シルエレ」?「エレファント」?
追記 2022年11月04日
Primavera さんのライヴです。
2019年07月13日@シルバーエレファントの、ダイジェスト。
同日、「プリマヴェーラ~旅立ちの時~」フル。
ここに「作曲」と呼べる営みはありませんが、世間ではこれをも「作曲」と呼ぶ習わしなのかも知れません。