開放弦の響きが好きだ。
私はエルガーを「ちゃんと」聴いてなかった。
さいきん「威風堂々第1番」をちゃんと聴く機会があって、腰を抜かした。中間部のゆるやかなアンセム風のメロ、ヴァイオリンが奏する主メロが、最後の音に差し掛かった時。
このメロはト長調だ。最後の音(とその4つ手前の音)は低い g だ。これをヴァイオリンでやるわけだ。
G線の開放弦!
「フレットの無い指板上で弦の一端が指に押さえられる・触れられる」ことによって、その弦の響きは影響を受ける。開放弦ではその影響が無い。籠らず、透明で、力強い響き。
そしてノン・ヴィブラート!
開放弦の響きが好きなのだと自覚した瞬間だった。
昨日カンテレにふれた。
「ツィター属」という分類は、その定義、指す範囲が、必ずしも厳密でないようだ。
構造によるのか、奏法によるのか、見た目の形状に引き摺られて判断するのか。
カンテレにせよ、「ツィター属」分類に私は積極的意義を見出せない。
私が強調したいのは「開放弦で鳴らされる」点だ。
これがこの楽器の透明な響きの理由のひとつだし、指板によらず、欲しい音程をすべて弦の本数で調達する、ということが、「不自由」であるよりも「贅沢」と思える。
「機能よりも音色を優先する」という意図なのかどうか、この楽器がこの形を取った、それを今日まで保った、ことの理由は、私には判らないけど。
「開放弦属」の楽器の中で一等好きなのが、プサルタリ psaltery。
で、まず思い出すのが Faust のこの曲。
0分30秒目~、左チャンネル。
「威風堂々」には、曲としては揺さぶられるけれども、
Wider still and wider
Shall thy bounds be set;
(広く、より広く、国境は画定される)
の、帝国主義的植民地主義的な詩(Arthur Christopher Benson 作)、それをみんなで斉唱して盛り上がれるということ(PROMS とか)が、理解できないし、身震いするし、げんなりする。
ちなみに、ドビュッシー「牧神の午後への前奏曲」107小節目の第1ヴァイオリンに、低い g が出て来る。
ちなみにちなみに、G線開放にヴィブラートを掛ける方法。G線を弾きつつ、隣のD線で1オクターヴ上の g のポジションを押さえ、ヴィブラートの動作をする。