「フィリップ・レッジャー」
さっき突然私の口がこう発した。
私の頭は、私の口の発する語が合唱指揮者の名であることに思い当たるのに、15秒掛かった。
私はレッジャーの演奏を聴いたことがない。馴染みのない名前がなぜ口を突いて出たのか、謎。
ググると、レパートリーはバロックから現代曲まで幅広く、私の関心に引っ掛かる曲も多いので、聴かずに来たのは、たまたま、というほかない。
まあフォレ『レクイエム』はガーディナー一択だし。
ガーディナー盤の響きが透明なのは、むろんピリオド楽器のオケ&ヴィブラートの無い唱法による合唱のせいもあるが、いわゆる「第2稿」(ネクトゥー/ドラージュ版?)を採用してるから、というのが大きい。従来最も演奏頻度の高かった「第3稿」よりも編成が小さい。
ただこれを以て「original orchestration」と銘打つのが適切か、この曲の「版」と「稿」の変遷には、微妙な問題がある。
オルガン版自体、初めて聴いた。
1分15秒目以降の盛り上げが節度を欠くようでもあるけど、これは曲の要請するところだろう。この曲は元来多分に下品だ。
ヴィブラートが深めに掛かってるだけで下品と感じる私の側に問題があるのではあるけど、まあとにかく私はヴィブラートが苦手だ。合唱も、独唱も、器楽も。
クリュイタンス/OSCC のラヴェル「逝ける王女のためのパヴァーヌ」のホルン・ソロにびっくりする。ホルンにヴィブラートを掛ける奴があるか! にしてもいったいどうやったらホルンにあんな見事なヴィブラートを掛けられるのか、ほとほと感心する。
イブラギモヴァの、ヴィブラートの無い透明なバッハが好き。
"Carols From King's"(『キングズ・カレッジのキャロル』)という DVD が手許にあったので、もしや、と思ってチェックしたら、レッジャーではなく、スティーヴン・クレバリー指揮(2000年の礼拝)と、ボリス・オード指揮(1954年の礼拝)を収めたものだった。