夢 2023年02月20日

庭瀬往来(センターラインの無い、対向車がギリすれ違える道幅の、住宅地の道路)の右に寄って歩いてると背後からミニバン(旧式、アイヴォリー色)。私のいる右側に寄せて来るので除けて左側に移る。運転者はシンフォをニュー・エイジからの流れで論ずる論者で、一面ではジャンル的に私の関心から外れ、もう一面ではベーシックな視座を思い出させる。最近ろくな記事にありつけないでいるぶん、キープする価値がある。

 

私の曲「エジプト女のためでなく」の、作曲初期段階の意識のありかのいくつかのうち、その後の作業の中で捨象されてしまった要素が、頭の中に蘇える。

ドビュッシー「エジプト女のため」をヒントに書き始めた、クラシックの書法で一貫させる曲だし、そこで問われる「作曲」は打込みで実現させることになる性質のものではある。が、さらに元を質すと、民族音楽の発想から来てる要素もあるし、それは数人の奏者による生アンサンブルでやってこそ意味のあるものだったはず。

初期段階では音組織について手探りだったため、どうしても嵌り込んでしまう袋小路があった。そこはその後モードの発見でブレイク・スルーした。でもその線で収斂された結果、取りこぼされた要素があった。

その、アンサンブルによる演奏シーン。空想が映像になって浮かぶ。2人の奏者が、コテカン的に、あるモードによるある音形のリフをやる。そこにパーカッシヴな注釈パートが加わって、要素①を成す。要素①~要素ⓝが組み合わさって、縦の響きと、構成=横の展開を作る。

 

ミニバンの論者は、話題を提供してくれるばかりでなく、どこから論じ始めればよいかの視座を再認識させる存在なはずだったし、その関連で「エジプト女のためでなく」を思い出したのだったはずだが、結局彼との間にやり取りは無く、ミニバンは走り去り、交差点を右折して消える。

 

公共施設のエントランス的な空間。これから「エジプト女のためでなく」が公開実演されるのであるらしい。いちおう、左にステージ、右に聴衆のいるエリア、と分かれてはいる。民族楽器による編成の5~6人のバンドで、最初は即興に近いリズム主体の演奏から。音量が小さく心配してると、最弱奏から徐々にクレシェンドするアレンジだった。

聴衆の中に少年がひとり、イリアン・パイプス的な外見の笛を持参してる。この催し物は演者と聴衆との間の境目が緩い(飛び入り歓迎的な)場なのかなと思う。私自身そういう場の在り方を歓迎する立場だ。

自己紹介として少年が吹き始めると、同時にひとりのバンド・メンバー(同じ笛担当)が吹き始めて、制止される。メンバーは、いや段取りとしてまずバンド・メンバー紹介のほうが飛び入り要員よりも先だ、と主張する。

少年の演奏は、半ば聴衆に背を向けた姿勢での、自己没入になる。聴衆のひとり(私の中学時代からの友人で、私の曲を期待してくれてる)が「0点」と声に出して評価する。確かに少年の演奏は、笛に吹き込む息の音がほとんどで、ピッチのある笛の音にならない。でもたまに笛の音が出ると、同じ友人が「おっ」と感心の声を上げる。私も、その、音の出る瞬間を貴重だと思う。聴衆が期待する「演奏」には程遠いし、少年自身が聴く音、体験してる音世界を、聴衆は共有出来ない。彼の聴いてる音と聴衆の聴いてる音は全くの別物だ。が、私は、音が出る時、貧相な外見のひとりの少年だけど、その内面に、ゆるがせにできないひとつの世界があることを確認出来る、と思う。

少年には「催し物の式次第」「自分の持ち時間」という発想が無く、いっこう已める気配が無い。このあと私の曲が演奏されるのだと私は思ってるが、確証が無い。バンドと私との間に予め何かの打ち合わせが持たれたのではない。プログラムは流動的かも知れない。でもこの場では今凄いことが起きてるので、それでいいと思う。

 

結局私の曲が始まる前に目が覚めた。バンド・メンバーとのやり取りも無かった。結局夢全体通して、私は誰ともやり取りしてない。