「生まれたままの姿で」(1974年)
作詞:及川恒平、作曲:大野克夫、編曲:瀬尾一三、歌:あべ静江
練られた美メロにびっくりした。同時に、構成(曲展開)がシンプルで、オーケストレイションが慎ましいことに、びっくりした。
このメロ、大袈裟にやれば、荒井由実「翳りゆく部屋」くらいの沢村賞ものになる。そのためのメロに聴こえる。
「生まれたままの姿で」のメロ美というのは、造形としての練れた美。情の強迫ではない。
あとギミックとかネタ要素とかが無い。これくらい真っ向勝負に徹した作曲が、歌謡曲なりポップなりの中に、他にあるか、知らない。
「燃える秋」(1978年)
作詞:五木寛之、作曲:武満徹、編曲:田辺信一、歌:ハイ・ファイ・セット
私はこの武満の「燃える秋」を、「真っ向勝負の美メロ作曲」の筆頭と思ってたのだけど、武満的には事情が違った。
「武満としては完全にビジネスライクに徹した仕事だったようだが(五木に歌詞には英語を入れた方が売れると言われたらしい)」
「第2回日本アカデミー賞・最優秀音楽賞を受賞した。その授賞式でネガティブな思いの丈をぶちまけようとした際に、司会の宝田明に止められる、というハプニングがあった」
ウィキペディア「燃える秋」>「主題歌」
小澤征爾と武満徹の対談集『音楽』(新潮社、1981年04月05日初版) p. 115
この「武満さん、近ごろの歌には、横文字を入れなきゃだめですよ」発言の主が誰なのかを気に留めたことは無かったのだけど、『燃える秋』での五木寛之のエピソードとよく符合する。
ここで小澤と武満のいうのが同一人物かどうかも判らない。小澤の言から私は勝手に田中康夫『なんとなく、クリスタル』を思い浮かべてた(読んだこと無い)。これは1980年発表、単行本刊行(河出書房新社)が1981年01月22日。小澤は続く箇所で「カンパリソーダは昔の話だけど」とも言ってるので、同年04月05日発行の『音楽』で話題にする可能性は小さいだろうか?
「翳りゆく部屋」というのは、これ:
「翳りゆく部屋」(1976年)*1
こういう曲には若いうちにいちど打たれておく必要がある。このメロとコード進行と、マエストーソを、ポップにあるまじき「本格的な」作曲と感じ做すナイーヴな耳を失わぬうちに。これを下地としてもっていれば、次にはっぴいえんどに進むことが出来る。
この歳になると、コンヴェンションにしか聴こえないし、それはポップに持ち込むことで効果を挙げるくらいの使い途しかないもの、と思えてしまう。New Trolls みたいなもんだ。
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*1:ちなみにこの曲の「2022 mix」のつべが2022年10月03日付で上がってるけど、分離の良さが災いして、迫ってくるものが何も無い。それに、ベースの、オリジナルではぶっとくてフェイズシフトが掛かって、定位が左寄りなのが、2022 mix では中央後方に引っ込んでることが、曲全体の印象を貧相にしてる。