間テクスト性

これの 2'23" 右チャンネルのギターのひとふしが、

これの 0'32"「同じのれんの」にきこえる。

「かに道楽」

作詞:井野上のぼる

作曲:キダ・タロー

歌:デューク・エイセス

 

"Meddle" のリリースは1971年。「かに道楽」がいつの作曲か、調べきれなかった。

 

そもそも「作曲」とは、同じ素材を別のコンテクストに置いて意味をズラしたり反転したりする操作の体系のことだ。

1曲の中で、モティーフへの和声付けを変えるとかアレンジを変えるとか。

 

オリジナルのメロディを書く、ということが、じつは、過去どこかで耳から入ったメロがいったん意識下に沈んで、再び浮かび上がることだったりする。その際、再編集ということが起きる。それ自体の形が同じないし似ていても、その意味するところは、その時点でのコンテクストに規定されて、変わる。

とすれば、オリジナル曲作曲と、引用、カヴァー、パロディとは、実は非常に近いものということになる。

「差異」にキモがある、という点で、どちらも同じ「作曲」の営み。意識的か無意識的か、の違いなわけだけど、そこを大きな違いと取るか、小さな違いと取るか。

 

Pink Floydキダ・タローの、どちらかがどちらかを実際に聴いて知ってて、意識的にか無意識裡にか、引用したのかどうか、判らない。

 

そうではなくて、相互に影響関係なしに同じモティーフが現れた、とする方が、わたし的に楽しくはある。人がではなく、音楽自らが、そうやって時や距離を越えた「作曲」をする。そうやって「遊ぶ」。

 

「同じ素材を別のコンテクストに置いて意味をズラしたり反転したりする操作」、これはそのまま「ユーモア」の定義にもなる。