論旨に沿ったコメントを頂けるのはもちろんありがたい。
いっぽうで、逸れること、意外な方向に展開すること、も歓迎する。論旨を踏まえたうえでの、敢えて文脈を「読まない」も。「読めない」ゆえの逸脱も。
論旨に沿うことだけを期待するのならコメントを受け付ける意味がない。
開かれたダイナミズム。
私が勝手に大前提としてることに則って、ハイコンテクストというか、S/N 比の小さい文章を書いてしまうことがある。
さいきん、私の大前提で、これが一般と共有できてないのに気付いて愕然としたのが、
「Yes の最高到達点は 'The Gates Of Delirium' である」
だ。
この動画、オリジナル・アナログ・ミックスに聴こえる。UP主さんに感謝! 曲名から「The」が抜けてることと、ジャケ絵が不鮮明なことを差し引いても…って偉そうだけど、ジャケの印刷のシャープさや色味の、エディションによる差とか、私は全く不案内。
'Close To The Edge' の構成が緻密と言われるけど、あれはまだ固い気がする。モティーフとその再現・変奏、がまだ「アリバイ作り」レヴェルに留まってる。順繰りに「§A やって、§B やって、§C やって…」的な、部分を継ぎ足してゆく印象が先に立って、本当の大作としての構えじゃない。
そういうのが、'The Gates Of Delirium' に至って、最高度に緻密に入り組んで、全体としての有機的な構造と流れを完成してる、と思う。
作曲(構築力)も、演奏(アンサンブル、推進力)も、
見せてくれるイメージの豊かさスケールの大きさも、
ここが極点。
硬質な音像もかっこいいけど、これはハウがテレキャスを使ってるせいなのかな。
個々のモティーフは数個の音による「旋法の欠片」、いっぽうでそれを組み上げる「大掛かり」、どちらもがかっこよくて、私なぞはストラヴィンスキーからの影響を感じる。
モラーツ、ホワイトは、前任者との比較で分が悪いけど、この曲を聴くと、正解だったのだと判るし、ぎゃくにこのメンツだからこそ、この「音色」と「疾走」による「陶酔」が可能だったと思う。
モラーツのプレイはイエスの中で浮いてる、という評を読んで、承服できなかった。
ウェイクマンは、クラシックの素養といっても、その根っこがロマン派以前なのが私個人的に馴染めなくて、こっちこそ「浮いてる」と感じる。装飾音のセンスが黴臭い。
モラーツはソロ指向が強い、とも評されてた。ぎゃくに私はまさに、彼のモーグを含むキーボードが "Relayer" の「オーケストレイション」のために如何に有意であるかに感嘆するのだが。
私がとくに陶然となる箇所、ふたつ。
① 4'30" 目~
ここはモティーフの再現なんだけど、前半の盛り上がりの箇所でもあって、モラーツのシンセが駆け上がってきてモティーフに合流する、という着想に、してやられた、ってなる。
② 14'50" 目~
「クレシェンドがディミヌエンドしてゆく」。
「クレシェンド+ピアノ・スービト」が、4回繰り返されるうち、だんだん鎮静する、極美の楽想。
中間部の騒然と 'Soon' 前の静寂を繋ぐ。
'Soon' 前の静寂といえば。
"Yesshows" でのデトロイトの聴衆の鑑賞態度が理解できなかった記憶がある。
静かな箇所こそ、物音ひとつ立てず耳を澄まして、聴かねばならないのに、この箇所のあいだじゅう、歓声が鳴りやまない。
音楽を「聴く」ことが習慣づいてない野蛮人なのかも知れないし、あるいはキメたうえで聴きに来てて何か見えてるのかも知れない。