フィルイン

ドラムの打込みに関して、ロックが血肉化してるために、自然とそうなってしまうこと、逆にそこから逃れるのが非常に難しいこと、というのがある。

2拍目と4拍目がスネア、とか。

 

フィルインの存在というのも「当たり前」になってしまってる。フィルインの役割はたぶん2つある。

①楽節の終端の「始末(裁縫用語)をつける」

②次の楽節の入りを効果的にする

ただ、ウィキペディアフィルイン」の項にある文言「変化をつける」「スパイス」は、つまりフィルイン以外の箇所は「パターン」を基本としていて変化に乏しい、ということを前提にしてる。曲の全ての箇所をパターンではなく「フレーズ」で埋め尽くしたい私の場合、フィルインのほうこそフィルイン然とした常套に陥りがちである。

 

私は「ハイタムからフロアタムに向かって下降してゆく」フィルインが嫌いだ。「始末をつける」ためには、終端に向かって密度と緊張度を上げなければならない。このためにはスネアだけの16分の連打とか、スネア+フロアタム同時打ちの8分のクレシェンドとかのほうが相応しい。

 

ロック聴き始めの頃には、フィルインが「当たり前」ではなく新鮮に映ったぶん、違和感もあった。「必ず入れなきゃいけないものなの?」とか「『そういうものだから』という惰性でやってるんじゃないの?」とか。

その折、バリのガムランを知り、とある曲のクンダン(太鼓)パートの楽節終わりに逆付点の「始末」があるのに気付いた。役割としてはフィルインと呼べそうだった。ロックに言われても反感を覚えるのに、ガムランに言われると正当性をすんなり納得する私なのだった。