Peter Gallway 'The Make Believe Mambo'

ふだん聴きつけないジャンルの、アルバムに1曲だけそのアーティストにしては異質な曲が入ってて、その1曲だけ好きで、なんか筋違いな好意で申し訳ない気になる例は、いろいろある筈だけど、まず思い出すのは、これ。

8曲目(27'22" ~ 31'52")、'The Make Believe Mambo'。

David Byrne に同タイトルの曲があるけど、別曲。

このアルバム、Peter Gallway "On The Bandstand"(1978年)は、全曲 Gallway 作。

 

もしかしたら、The Rolling Stones "It's Only Rock'n Roll" から 'Time Waits For No One' だけ好きとか、Weather Report "Black Market" から 'Herandnu' だけ好きとかは、この例だろうか。

小室等 "TV Music Selection In Memory Of 40 Years"(1983年、TV 番組のテーマ曲集)では、「太陽の子・メインテーマ」1曲だけが強く印象に残ったけど、彼を代表する作風なのかは判らない。

 

逆な例を考えてみる。

……いやそもそも「逆」って何だ? 選民意識?「こっち側とあっち側」を規定して、こっちは審美眼を具えてて、あっちは俗物で、「こっちの耳にも適う立派な曲を書いたあっちの人」とか、その逆は「あっちの耳にはよりによってこの曲がウケるのか」とか、いちいち優位に立ちたいのか、私は。

 

しんかい、ちょっと来い。

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「ほーらおいで、硯で殴ったりしないから」

 

仮にだけど、'Think Of Me With Kindness' で Gentle Giant に興味をもった人がいそいそと "Octopus" を買いに出かけるところだったら、制止して差し上げるべきだろうか?

 

12月08日は Ray Shulman のお誕生日です。おめでとうございます。

 

選曲ということだけじゃなくて、

好きな曲が違う、ということは、着眼点が違う、ということだから、例えば私が堀ちえみの曲を取り上げつつ「作曲」の話しかしないのを、「堀ちえみを好き」なファンの方がご覧になったら、違和感を覚え、もしかしたらお怒りになるかも知れない。

これも同じ問題といえるのかも。

 

堀ちえみさんご本人を蔑ろにするな。話のダシに使ってんじゃねえ。

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「ここに埋めて差し上げましょうか?」

 

「私は堀ちえみを好き」と「私は堀ちえみが好き」とは構文が違うんだよな、と思う。

「私は堀ちえみが好き」の主語が「堀ちえみが」だと説明されて納得出来なかった中学生の私。目的語じゃないのか?

後者が I like ではなく my favourite is なのだ、と思って納得する。

英語に、対応する表現が存在する、ということを以て納得する、というのもどうかとは思うけど。でも、例えば福岡県筑後地方の「~すっごた」という表現とか、面白い。「~したい」の意。「食べたい」を「たぶっごた」の類。

これはたぶん「する・ごとく・ある」の約と見做せるんだろう。つまり feel like ~ing だ。

余分なリリースをスパスパ切る、休符の多いベースが小気味良くてかっこいいな、とぼんやり考えながら聴いてた。……ベーシスト誰だろう……

…って! Boz Burrell に決まってるでしょうが! 憑かれてるのかな私…

 

ヴァースの歌メロはトラッド的、ミクソリディアン的。

サビはロック的、ブルー・ノート的。

こういう切替は Zep がやってそうだけど、咄嗟に例が浮かばない。

 

あと、ヴァースの「尺」が面白い。毎回4楽節なんだけど、

2'40" 目~の間奏がヴァースと同じコード進行で2楽節の長さ、そのままヴァースに入るんだけど、ここでのヴァースは4楽節じゃなくて2楽節。

つまり、さっきの間奏を間奏と見做さず、ヴァースの前半と見做すことで、尺的に刈り込まれた印象になる。

というかそもそも、4楽節というのがまだるっこいのだけど。「段取りを消化するのを待たされる」。3楽節じゃダメなんだろうか?