実家には、堀ちえみの2枚組 LP『シングルスⅠ』(1986年)があった。デビューから20枚目までの、シングルA面の22曲(両A面シングルが2枚あり)に、シングルにもアルバムにも未収録の2曲、のコンピレイション・アルバム。
デビュー・シングル「潮風の少女」(1982年)でのまっすぐな歌唱に救われる。
いっぽうで、12枚目「クレイジーラブ」(1984年)では「表現力」を獲得してしまってて悲しい。
13枚目「リ・ボ・ン」(1985年)は、当時から見て20年くらい前の、「エレキ・ブーム」か何かの曲調*1をレトロとして取り入れた風。
10枚目「稲妻パラダイス」(1984年)のインスト・パートに出て来る「シ→ラ→ド」の動きは、中世ヨーロッパ音楽みたい。
などなどの感想をもった記憶があるが、いちばんびっくりしたのは、これだった:
「夕暮れ気分」
1983年、8枚目のシングル。
別々の2曲を無理やりくっつけたみたいにくっきりと性格の違う、ヴァースとサビ。
ヴァースは、長調の完全なペンタトニックによるこの上なく素直なメロディの運びと、A - A' の構成が、童謡みたい。
サビは、短調のダイアトニックで、メロディとコードの進行が変位音を含んではるかに柔軟で細やかで、歌謡曲らしくセンチメンタル。
2コーラス目ではサビがリピートされる。サビの最初の4小節で休むスネア・ドラムが、リピート時には休まない、というところで泣ける。
イントロ、間奏、アウトロは、いずれも短調で始まって長調で終わる。繋がりが無理なく滑らかで、とにかく最後長調で終わるのがほっとする。
天野滋という作曲家は全く意識に無かった。自身の、NSP*2というフォーク・グループと、ソロの他、多くの提供曲(作詞と作曲)がある(ウィキペディア「天野滋」に上がってるうち、私の知ってるのは、この「夕暮れ気分」1曲だけだったけど)。
歌詞の「今頃は寝ころんで/テレビを見てるかな」は解せなかった。そうイメージさせるような相手に何故惚れるのか? 何故「今頃は図書館で/デリダを読んでるかな」「今頃はマニラ空港で/アキノを暗殺してるかな」じゃないのか?