あぁ

 

Q: 何故私は直前の音と同じ段の母音を小さく表記することに引っ掛かりを覚えるのか?

A: 音素に還元したいから。

 

例えば「アパシィ」「レガシィ」の「ィ」に引っ掛かる。

私の思う、「どういうケースで母音を小さく書くのか」。

もともとは、外来語における日本語の音韻体系に無い音を表記するために始められたんだと思う*1

「fi」「ʃe」を「フィ」「シェ」と書く。

当然これは「フイ」「シエ」とは違う音。

 

ある音(例えば「シ」)に続く、これと同じ段の母音(この場合は「イ」)を小さく書く習わしは、いつ頃始まったんだろう?*2 これは具体的にはどういう音を「表記」してるんだろう?

「シィ」を見ると私個人的には「『シイ』または『シー』と書けば済むところをわざわざ『シィ』と書いてる」と感じる。

これら3つは同じ音、つまり「シィ」表記は、「音を文字に置き換える」ためではなく、「そう書くことで何某かの効果を得る」ために為される。

 

「はぁ」には、「はあ」には無い効果がある。何かの刺激に対する反応であることを表す。引っ掛かり蟠り、次の瞬間には噴出するエネルギーが蓄えられた状態、時間経過の中での動的な心理。

 

いっぽう私は、音を粛々と文字に置き換えて、意味内容だけで説得的でありたい。効果に頼ることを潔しとしない。

絵文字顔文字を使わない動機と同じ動機で、「はぁ」とは書かない。上掲の効果を、効果に頼らずに、効果したい。

 

むろんこれは私個人がこうだという話で、他人様のご表記(どうしてもまず「誤表記」と変換される)に容喙はしない。時東ぁみさん万歳。

*1:調べないけど。

*2:調べない。