The Court Of The Crimson King

「キーが Em、出だしのコードが D」つまり「7度始まり」。

このコード進行の設定がダイナミズムを孕んで、曲を駆動し、曲全体の構成を導き出す。

聴感上のかっこよさの理由もここにある。フックとなって印象に残る。

 

('Epitaph' がつまらないのが和声の不自由と沈滞のせいなのと好対照。

'Epitaph' は、

①陳腐なコード進行を

②4×4×4の硬直した尺の大枠の中で

③白玉コードで埋めて

④繰り返す

⑤雰囲気の

音楽。つまり私にとって最も縁遠い「叙情派シンフォ」の元祖にして典型。)

 

のではあるのだが。 

むしろ「ヴァースが Em、間奏というかインスト部分が D、それらを繋ぐのがイントロ=サビ」と見るべき、と思い直してみる。

 

一般にプログレにおいて、ヴォーカルパートは、いくつかのパートの一環、他のパートと対等に扱われる。

あるいはさらに一歩進めて、インストだけで成立済みのところに「彩りとして」添えられる、無きゃ無いで困らないパート。

であれば、ヴォーカルが休んでる間を「間奏」と呼ぶのは、適当じゃないし、意味がない。

'The Court Of The Crimson King' では、ヴァースもインスト部分もそれぞれ重要なので、この視点で和声を捉える必要がある。

 

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Uriah Heep 'Circle Of Hands' のイントロは、'The Court Of The Crimson King' のパクリに聴こえる。

但しこの曲の出だしのコード C は、そのままこの曲のキー。