原子しんぼ

あるスーパー・ギタリスト(誰だったか?)が、必ずしも得意でないアレンジまで全部自分でやるというので批判されてるのを見掛けたことがある。自らの得手不得手を自覚して、ギタリストに徹して、アレンジはアレンジのプロに任せろ、と。

一理ある。一理というのは、音楽をエンタメとして見てる限りにおいての。

 

個人の、のっぴきならない表現としての音楽であれば、「自分でやる」のは当然で、他人に手伝ってもらうことで出来が良くなったとして、何の意味があるのか?

私の立場はこれである。いちリスナーとして、アーティストがその人自身であるところを見たい。それによって救われたい。

 

ムソルグスキーの曲にリムスキー=コルサコフが手を入れる。ムソルグスキーの特殊な音楽が、リムスキーによって一般に理解可能な形に翻訳される。これを「完成度が上がる」の理由で許すべきだろうか? そのせいでムソルグスキーの音楽じゃなくなっちゃうことは「しかたない」んだろうか?

 

 

"Atom Heart Mother" 所収 'Atom Heart Mother' がなぜ評価されるのか、私はじつは判ってない。長くて大掛かりだから?

当時の耳にどう響いたのか、何が新しかったのか。

クラシック耳的にも半端だけど、あるいは当時はクラシックを導入したというそのことだけで評価の対象になり得た、のだろうか?

私は既に "The Dark Side Of The Moon" と 'Echoes' を知ってしまってた。あれを基準にすれば、スカスカに聴こえる。

 

なんしろ、違和感の第一の理由は、他人のアレンジの手が加わってること、ゲスト・ミュージシャンが多数参加してること、だった。バンド Pink Floyd の音楽ではなく、企画。

 

改めて聴き直すと、じつは合唱の箇所(13'20" ~ 14'50")がいちばん面白い。

初めて聴いた時はここにいちばん違和感を覚えた。合唱団を聴きたくて Pink Floyd を聴くわけじゃない、ゲストの力を借りて何かのアウトプットを得ても意味がない、と。

ということは、バンドとしての Pink Floyd への思い入れが強かった、ということ。'Echoes' が好きだった。音楽として好きだったし、これがたった4人、純粋にメンバーだけで作り上げる音楽なの?!という驚きがあった。

今この合唱の箇所をいちばん面白がるのは、曲の出来として評価してるということだし、Ron Geesin の才能*1にも敬意を払うべきと思うからだし、つまり Pink Floyd への思い入れがもうあまり無いから。

*1:追記 2023年10月04日

ギーシンの、というよりジョン・オールディスの、だろうか?