音によって、どれだけシュールな夢の世界を見せてくれるか、じゃないんだ。
1粒の音の「リアリティ」が、ガビーンと脳に響く、ということ。
平生私が書いてる、音を音のまま、音楽を音楽のままに聴く、ということではある。
でも、たんに微細に聴き取るというだけでは、「ふーん」で終わる。
感覚のレンジとセンシティヴィティが最大になってる時というのは私の何がどうなってる時なのか、どうすればその状態に入れるのか、意識的に自分をそこに持ってゆけるものなのか、私は掴めてない。
でもまれに、音が、否応なく、如実さを以て襲いかかる、私がその音を「理解した」と実感として感じられる、という時がある。
今まで、アクティヴに、耳を澄ましてるつもりで、いかに何も聴こえてなかったか。このルートは、堕落にしか通じてないのではないか?
むしろ本当に「聴こえる」時には、パッシヴに、音に襲われるがままになってる。
伝道の役目を、音楽家が自らに課す。他人に伝える、聴き手の感覚を拓く。
困難な作業である。これに最も成功してるのが、'Alan's Psychedelic Breakfast' で、だから私が Pink Floyd の代表作として挙げる1曲は、これなのだ。