金星の最大光度とアルキメデスの支点の追求

そういえば今日12月04日、金星の最大光度(-4.7等)なんだった。当分の間、ギラギラに明るい宵の明星を見ることが出来る。

 

金星が最大光度になるタイミングは面白い。位相として「満月みたいに真ん丸」の時でもないし、地球から最も近くなる時でもない。

位相として真ん丸 =「外合」だけど、この時金星は地球から最も遠い。

地球から最も近くなる時=「内合」で、つまり「新月みたいに真っ暗」。

単純に考えて、金星の輝いて見える面積が最大の時=最大光度、となりそうだけど、これも自信が無い。それがどの位相の時なのかも、私には判らない。

(どちらかというと内合に近く、「三日月形」であるらしい。)

 

もうひとつ面白いのは、同じ内惑星なのに、金星と水星とで最大光度のタイミングが違うことで、水星では外合の時がそれであるらしい。ただし外合=太陽を挟んで地球と(ほぼ)正反対なので、観測出来ない。

 

 

なんでも音楽に結び付ける癖がある。なんでも野球に例えて説明する人みたいに。「生活の中でつねに音楽を考えるヒントを探す身構えになってる」と言うと少しかっこいいだろうか?*1

複数のパラメータが連動してて、なおかつ「あっちを立てればこっちが立たず」な場面は、音楽でもいろいろありそう。効果を最大にするためには「兼ね合い」「落としどころ」がある、という場面。「技と心」とか。

技を突き詰めると Casiopea になってしまう、さりとて Moonriders は思いが空回りしてる、それにつけても Tipographica は凄い、みたいな。

ちなみに、Casiopea が Cassiopeia じゃないことを、最近知った。

 

アルキメデスの支点の追求」という言葉が吉田秀和に出て来たことがある。どういう文脈でだったか? 音楽史において、調性(ここでいう調性とは、たんに「長調短調を取る」という意味ではなく、曲を構成し進行させる「原理」としての「和声」に基づくこと、ぐらいの意味)が、その可能性を突き詰められた結果内側から無効化して、この時点と、「無調」が現れる時点とのあいだで、各作曲家によって調性がどう扱われたか、の件だっただろうか?

なにしろ、調性というものが旧いものとなり、といって調性を捨てれば新しくなれるわけではない、これに代わる方法がまだ無い時に、それでも真にクリエイティヴであるために、調性への依拠と忌避、2つの両立しないベクトルの間で、「効果を最大にするためのポイントを探る」みたいな意味、とその時の私は解釈した。

(でも本当にこの箇所で出て来たんだったかな?)

何の注釈も無しに唐突に現れたタームだったうえに、調べても、この語の用例が、吉田のこの箇所以外に見つからなかったので、私自身が勝手に解釈するしかなかった。

 

私が「一度だけ出会った言葉」には他に「すだれコリメータ」「ピトー管」がある。

 

 

水星観望のために重要な条件は、光度ではなくて、地平線からの高度。これを決める要因は、大きく2つある。

①太陽からの離角が大きいこと

水星の最大離角は、太陽からの平均距離を使うと22.8°となるが、水星の公転軌道は離心率が大きいので、最大離角は約18°~約28°の間で大きく変わる。

②太陽と水星とを結ぶ線(おおよそ黄道に等しい)が、地平線に対して直角に近く立ってること

水星を見るのは日没直後または日の出直前だけど、黄道天の赤道*2に対して23.5°で交わってるので、季節によって、この時間帯での地平線に対する角度が変わる。最大離角の時でも、黄道が地平線に対して寝てる時は、高度が小さくなる。

 

なので、水星を見るためには、①地上の光源が少なく②東西の視界が開けてて③低緯度、のロケーションに住むと良い。

コペルニクスは水星を見たことがない、と聞いたことがある。たしかにポーランドは高緯度で、不利だ。

*1:ちなみに今この一文を書くために、参照のため当ブログ内を検索した。目的の記事をピンポイントでヒットさせるワードの選び方もあるが、私はわざと一般的なワードを使って絞り込みを緩くして楽しむ癖がある。今は「構え」で検索して、予期せぬ用例をいろいろ見つけた。

ちなみに、記事本文の右側にある検索窓で検索すると、ワードを使った箇所の前後が数行表示され、「記事の管理」ページで検索すると、記事冒頭が数行表示される。

*2:の地平線に対する角度は、季節・時刻にかかわらず一定で、90°-観測地点の緯度。