以前私自身のことを「何を食わせても美味しいと言ってしまう奴」と書きました。
何を「食べても」ではなく「食わせても」。
私に「食わせ」た人物、私を「何を食わせても美味しいと言ってしまう奴」と評した人物、の存在を仄めかしたのですが、端的にこれは「見栄」でした。
どのみちどなたの関心事でもありませんが。
1年前、次の内容のツイートが炎上しました。
《私が知っているモテる男の人たちに共通しているのは、フレンチ、中華、和食のだいたい3軒くらいを事前に予約しておき、女の子に「(予約していることは言わず)どれが食べたい?」と聞いて、スマートに入店できるようにしておくということ。》
この時の私の最大の違和感は、ツイート内容もだけどそれよりも、これが批判された理由がもっぱら、これが「ドタキャン推奨」だから、という一点に限られたことでした。
ツイ主、批判者、全部ひっくるめて、別世界、私の理解できない価値観の支配する世界だなあ、と。
私がその男の人に惹かれる理由は、その人が私に快適や快楽を提供してくれるから、ではありません。
その人自身が、如何にその人自身であるか。この一点です。
以前、「その人を愛する理由は、自分に対してどう接してくれるかに係わらず、その人が如何にその人自身であるか、にある筈」と書いた時、この件が頭の隅にあったかも知れません。
「モテる」と「愛される」は違う、で片付く話かもですが、なら私はモテもモテられもしたくありません。
「C - D - E♭ - B♭ - Cm - F - A - F - Dm というコード進行の曲は書いておきたい気もする」
このコードネームの並びは「ベートーヴェンの交響曲 No.1~No.9 の調性」でして、
「私の《作為》から逃れるために、コード進行の決め方をなるべく無意味な規則に丸投げしてみる」
ための思い付きです。
Q:勤務中に検索で見つけてポチったそのバンドの 1st. アルバムが世評に反してハズレだった。
A:勤務・ググり損(キング・クリムゾン)!