耳を澄ます

曲を再生し始める瞬間というのは大事な瞬間で、アーティスト的にも曲の始め方は重要視するわけで、音楽を冒頭から完全に聴こうと耳を澄まし全神経を集中させてるところに「吉野家」とか「楽天なんとか」とか喚かれたり「なんだしなんだし」とおちゃらけられたりすれば、大事な音楽体験を台無しにされた聴き手が「この企業には金輪際1円も落とすまい」と決意する、と想像出来ないんだろうか?

 

スピリーバレスピマットの容器を叩くと良い音がするのに気付く。硬いものと打ち合わせたはずみに、内部のスプリングか何かの残響。今までの容器捨てずにおけばよかった。個体差とかありそうだし。

気管支喘息を患ったのはこの容器と出会うためだったのかも。

ただ、これって、ひとりで聴く音なんだよね。掌に入る小さな容器に、片耳を近付けて、微かな音、内部のどこかの金属片が発振し、構造が共鳴して、余韻を伸ばして消えてゆくのに耳を澄ます経験を、誰かと共有は出来ない。

録音が捉えきれない。私が聴きとった音そのままにメディアに乗せて示す、ということが不可能。

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といいつつ、じつは私はコンタクト・マイクを試したことがない。

たぶん「私が聴いたままのかそけき音の出来事をそのとおりに捉える」ことを期待してはならないんだろう。むしろ期待よりもさらに積極的に、新しい世界を開いて見せてくれそう。

 

今日の大喜利

出来が良いと思ってるのではなく、自分が思い付いたと思えないものが突然出て来て驚いた。