タイヤの回る向きを、幼児が認識する

先日は、「モノゴコロの初期に音の〈高/低〉を逆に感じてた」ことを書いた。

書きながら、もうひとつ逆に認識してたことがあるのを思い出した。

自動車のタイヤの回る向き。

 

そもそも「車輪が回転すること」と「車体が前進すること」とがどう結びつくのか、原理の見当がつかなかった。

タイヤが路面をガッと噛んで、路面を後ろに押しやることで前進する、ということがイメージ出来ない。

タイヤと路面との間に、いったい何が起きてるのか?

「とにかく前に進もうとする闇雲な勢い」みたいなものをそこに想定した。タイヤの、接地面における動く向きは「前」に違いない、そうなるように車輪は回転してるに違いない。

つまり正解とは逆。

 

まあ一般に、習慣の動作が、そこに働く物理が理解されないまま取られてる、みたいなことはオトナでもざらにあるだろうし、そのために微妙に誤った動作になるのをお見掛けしもする。

 

正解を知ったのちも、すっかり納得したわけではなく、なんか、車輪の回転が、自動車のあの推進力、スピード、パワーに結び付く、ということが、腑に落ちなかった。つまりは「摩擦」なわけでしょ? そんなに効率良くゆくものなの? というかこれが本当に考え得る可能性のうちの最も効率の良い方法なの? みたいな。

現に「スリップ」ってあるじゃない? あれは特殊な現象なの? 実は「常に」表立たない形でスリップしてるんじゃないの? それはロスとしてそれなりに大きいんじゃないの? みたいな。

「自動車」の最先端で基幹で真っ当でピカピカにかっこいいイメージと、「摩擦」のセコいイメージとが、どうにも折り合わなかった。

こここそが技術の技術たる所以なんだろうけど、まあ幼児の料簡ですので。

 

スリップというと思い出すことがもうひとつある。

トムとジェリー』で、

トムが滑らかな床の上を全速で走りつつ急に方向を変える時、動作としてはこっち向きに走ってるんだけど、運動の方向はあっち、とか、

静止の状態から急に走り出す時、ものすごく走ってるんだけど動き出すまでに1~2秒掛かるとか、

の、要するに「慣性」の表現。

子どもの頃はあれを「修辞」だと思ってた。あの表現がリアリズムであることは、実際に猫を飼って、知った。

 

「闇雲」といえば、私は「発情期」という語をまず音で知って、脳内で「初蒸気」と変換したのだった。

青春の初めにおける、陸蒸気にも似た収まりの付かない闇雲な情念、という語感が、いかにも発情期を言い当てるものだった。