タイヤの日

車輪の再発明

理想的には、先人の試行錯誤まるごと、先人がその先人から受け継いだものまるごと、科学技術史の総体、を受け継ぐ。

先人が導き出した「結果」「スキル」を受け継いで事足れりとせずに。

車輪の再発明」が批判されるのは正しい。先行研究を踏まえることをサボるな、という意味で。

でもいっぽうで、私は「効率主義」をこそ最も危ういと感じる。根本を見失いそうで。少なくとも、受け継いだスキルの「意味」を問い、つねに問い直す、そのために研究者個人が彼の中で車輪を再発明するプロセスを怠ってはならない。

 

「発明は必要の母」

発明されたコンテンツは、取り入れなければ、取り入れた者に負けてしまう。結果全員が取り入れることになる=必要になる。

ヒトのために発明された技術は、進歩が必然付けられ自律化・自己目的化して、ヒトのコントロールを超え、ヒトに対して脅威となる。

進歩のために、技術はセオリー化、スキル化される。新しい技術者が、先人の技術をさらに先に進めるのに、結果のスキルだけを受け継げば、最も効率的で、速く進歩できる。正しさの上に正しさを積み重ねて導き出されたものなので、最先端のスキルはいつも必ず正しい。安んじで受け継ぐことが出来る。

「必要は発明の母」をもじる便宜上「必要」といったが、正しくは「発明は欲望の母」だ。

「いのち」の「必要」は過たない。技術が自律化しヒトの脅威となるのは、「文化」の、記号を消費する「欲望」だからだ。

技術が生む益だけを見て、同時に生む害については、将来技術が解決してくれる、と見切り発車で将来にツケを先送りする、の悪循環。

その、技術が本来的に持つ「根源的暴力性」は、加えて必ずそこに、政治の思惑や経済の要請から来る意図的な隠蔽・ごまかしを呼び込む。

ヒトは先人の知恵を、そのまま「受け継ぐ」ことは出来る。でもヒトはそれを「進歩させる」ことは出来ないのではないか?

技術を最先端へと推し進める「正しさ」は、不都合な要素を排除したうえでの「正しさ」だ。

進歩すればするほど、大元を忘れ、本筋を逸れ、ヒトの存在を脅かす。

ヒトに出来ることは、先人の知恵を、先人がそれを得たプロセスを丸ごと追体験し、車輪を再発明し続けること、だけなのではないか?

 

プログレッシヴ」

文化の居心地の悪さの解消を文化を以て試みる。さっきよりさらに居心地が悪い。そして我々は今ここにいる。この悪循環を「進歩」と呼ぶ。

ヒューマニズム」とは「『いのち』からの乖離」のことである。第一歩から間違っている。もちろんこの言い種自体が典型的にヒトの料簡、ヒューマニズムの言葉だ。

 

「ラパン」

近所でかわいい車を見掛けた。ラパンというやつだった。

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これがかわいいのは、昔っぽいから。

なぜ昔っぽいかというと、側面が、水平の線を持つから。

現行の車のフォルムはみんな似通ってる。流線形。前下がりのサイドライン。 空気抵抗を最小にする=燃費を最大にする=環境に優しい、の基本を押さえると、必然ああなる(のだろう、たぶん)。

その、フォルムの開発には、敬意を払う。ものすごく正しい。

でもなんかね、ときどき息苦しくなる。昔の車みたいに、お弁当箱みたいなフォルムのまま無理やり空気を押しのけて突き進みたくなる。

ラパンも、もちろんエコノミーとエコロジーの基本は押さえてるんだろう。でもそれ一辺倒だと、このかわいいフォルムにはならない気がする。

 

「スマート K」

私がいちばん欲しい車は、スマート K。

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画像はこちらの御記事から勝手に拝借致しました:

sakurabunama.blog87.fc2.com

「ドイツ・スマート社のハッチバック型軽自動車」

「日本の軽規格という独自のカテゴリーに海外から参戦した稀な車」

「全長はたったの2560mm」「乗車定員は2名で(略)スペースを優先とする日本の軽自動車とは真逆のコンセプト」

横から見たら短さが如実。

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日本車の、所与の体積の中に如何に住空間を確保するかの工夫には、敬意を払う。

でもなんか、じっさい私が「車に乗って移動する」ことの意味、「用」的にも、「ファッション」的にも、形にしたらこういうことなんだよね、って、スマート K が思わせてくれた。いずれ荷物を運ぶかもとか、大人数で移動する必要が出るかもとかのために「かわいい」を侵されたくない。

 

まずは免許を取らないと。

あるいは運転手を雇う身分になるか。

でもさしあたり今はチャリが欲しいかも。

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