プログレッシヴ・

Q:江崎玲於奈が発明したダイオードの名前は?

A:レオタード!

 

発明は必要の母。

発明されたコンテンツは、取り入れなければ、取り入れた者に負けてしまう。結果全員が取り入れることになる=必要になる。

 

ヒトのために発明された技術は、進歩が必然づけられ自律化・自己目的化して、ヒトのコントロールを超え、ヒトに対して脅威となる。

 

進歩のために、技術はセオリー化、スキル化される。新しい技術者が、先人の技術をさらに先に進めるのに、結果のスキルだけを受け継げば、最も効率的で、速く進歩できる。正しさの上に正しさを積み重ねて導き出されたものなので、最先端のスキルはいつも必ず正しい。安んじて受け継ぐことが出来る。

 

「必要は発明の母」をもじる便宜上「必要」といったが、正しくは「発明は欲望の母」だ。

「いのち」の「必要」は過たない。技術が自律化しヒトの脅威となるのは、「文化」の、記号を消費する「欲望」だからだ。

 

技術が生む益だけを見て、同時に生む害については、将来技術が解決してくれる、と見切り発車で将来にツケを先送りする、の悪循環。

その、技術が本来持つ悪魔性、根源的暴力性は、加えて必ずそこに、政治の思惑や経済の要請から来る意図的な隠蔽・ごまかしを呼び込む。

 

ヒトは先人の知恵を、そのまま「受け継ぐ」ことはできる。でもヒトはそれを「進歩させる」ことは出来ないのではないか?

技術を最先端へと推し進める「正しさ」は、不都合な要素を排除したうえでの「正しさ」だ。

進歩すればするほど、大元を忘れ、本筋を逸れ、ヒトの存続を脅かす。

ヒトに出来ることは、先人の知恵を、先人がそれを得たプロセスを丸ごと追体験し、車輪を再発明し続けること、だけなのではないか?

 

 文化の居心地の悪さの解消を文化を以て試みる。さっきよりさらに居心地が悪い。そして我々は今ここにいる。この悪循環を「進歩」と呼ぶ。

ヒューマニズム」とは「『いのち』からの乖離」のことである。第1歩から間違っている。もちろんこの言い種自体が典型的にヒトの料簡、ヒューマニズムの言葉だ。

 

谷川俊太郎の33の質問』の、

「1日が25時間だったら、余った一時間を何に使いますか?」

大岡信が回答して、言下に

「それは余らない」

と言った。

ただし、私は、大岡の回答自体は(1度読んだはずだけど)あまり記憶になくて、武満が回答した時の谷川と武満のやりとりの中で、大岡はこう答えた、と言及されてるのを、よりはっきり憶えてる。