今までさんざん書いてきたことだけど、
私に欠落してるのは「懐かしい」という感情だ。
曲にせよ出来事にせよ、私でも「思い出す」ことはするが、懐かしいという感情とともにそれをすることが皆無だ。
拙ブログを検索すると「思い出す」「思い出した」が際限なく出て来る。
でもそれは私が今、手元に資料がほぼ無い=記憶に頼らざるを得ない環境で書いてるからで、思い出すという行為自体に価値を置いてるわけではない。
とくに、作品評価で「なつい」は禁句だ。なついのは聴き手の個人事情で、作品自体・音楽的内容自体への評価の言葉ではない。逆にそれを蔑ろにする言葉だ。
1970年代、1980年代、各々同時代が共有すると思われる「懐かしい事」として、コピーを挙げた:
この1枚のアルバムは音楽に存在する見せかけの階級区分を打ち砕く美しい石なのだ。 #懐かしい事を言って下さい
— 新海智子 (@coccyx_T) 2018年3月16日
ROCKは恥かしい
— 新海智子 (@coccyx_T) 2018年3月16日
ここに積極的な現実が
有りまするが
ノるかノらぬかは
貴方の勝手で
ございます #懐かしい事を言って下さい
「これ懐かしいでしょ?」 と提示しつつ、私自身はその感情の共有の場にいない。
マジカル・パワー・マコを見出したのは、いま改めてググったところによると、武満に先立って、廣瀬量平のようだ。
追記
懐かしいと思うためには「いったん忘れる→思い出す」が必要だが、「忘れることが出来ない」「否応なく全てが思い出されている」サヴァンの方の場合、「懐かしい」は起こり得るだろうか?