バンドでキーボーディストをやるとはどういうことか

そのバンド(全員女)のキーボーディストが抜けるので後任に、という話が回ってきた。私はそのバンドのファンだったから一も二もなく引き受けた。

ところがリハに行くとまだ前任者がいた。バンマス「やっぱりMちゃんを手離せない」

バンマス=作曲者による打込み+キーボーディスト2人、つまりマイナスツーを2人で分け合う、というどう考えても過剰な布陣で、取り敢えず次のライヴはやることになった。

 

私はこのバンドのある曲の、サビのコード進行が大好きだった。既存のコードを連ねてゆくのではない。バンマス自身の耳で選びとった響きが、どうしたらこんなもの思い付くのか謎な天衣無縫の経めぐり方をする。分析してみると、ここの3小節はトップ固定で下3声が平行に半音ずつ下がってゆくんだな、とか面白いけど、コードネームで呼べないし、既存のコード進行のセオリーで説明つかないし、バンマス自身コードネームとかセオリーとか考えずに作ってた筈である。天才の音楽。

 

ある時バンマスから電話が掛かって来た。バンマスの自宅で、前任者Mと2人でキーボードパートの練習をしてる様子だった。

件の曲のサビのコード進行についてトラブってるという。

バンマスは、Mが間違ってると指摘し、Mは譜面通りさらって来たと主張する。そういえばしんかいここ正しく弾けてたよね、という話になって、問い合わせが来たのだった。

私「ああ、あそこ譜面間違ってるよ」

(バンマスは、凄い曲作るけど、譜面は苦手だった。作曲には譜面を使わず、あとからメンバー用パート譜を起こす。)

私とMには事前に譜面とCDを渡されてる。だから私は当然その両方をチェックする。譜面をさらい、CDとの間に食い違いがあれば、CDを耳コピする。

電話越しに聴こえるMの演奏の、間違いの箇所を、私が指摘する。「そこはトップが固定で下3声が平行に半音ずつ下がるの」

バンドでキーボーディストをやるってそういうことだろ。やれる研究は全部やるだろふつう。曲の奥義に能う限り迫ろうとするだろふつう。

というか、もう一度言うけど、私はバンマスの曲を愛してた。味わい、分析し、自分のものにする。耳コピは愛なんだ。

譜面だけさらってそれを正確に弾けさえすれば「やるべき仕事こなしました」という顔してられる奴とは、こちとら愛の深さが違うんだ。

じじつMは私より上手い。速弾きも、読譜力も、私より上だ。でもステージでの彼女は、いつもつまらなそうに見えた。与えられた譜面をこなしてる感。それで事足れりとしてる感。弾けてるけど理解してない。バンマスの曲の、汲めども尽きぬシャルム、説いてなお説き尽くせない奥深い世界に取り組むのに、抜かしちゃいけない姿勢ってもんがあるだろ。

 

後日、バンマスが私に言った。Mがやりにくそうにしてる、と。先生に見張られて、ミスったらダメ出しされて、みたいな雰囲気が息苦しいのだと。

あのなあ…その状況作ったのはバンマス、あんただろ。抜けるという前任者がまだいて。

問い合わせの電話をあんたが寄越したから答えたんじゃないか。

このバンドにキーボーディスト2人は要らないと私も思うよ。どっちか選ぶのはバンマス、あんただよ。あんたの曲を愛し研究する奴より与えられた仕事だけ上手にこなす奴のほうを選ぶのは、あんただよ。

 

(フィクションです。)

 

追記

ステージでのMが「つまらなそうに見えた」というのがどういうことか、説明しあぐねた。無論、望んで加入し、本人的には積極的にプレイしてるのだ。「嫌々やってる」のではなく、「曲との、それ以上の濃い関わりようがあることを、そもそも知らない」という風。

ごく乱暴に言って、「作曲家的発想」と「演奏家的発想」の違い、と言えるかも知れない。作曲家目線で、作曲者の意図をたずね読み解き、共振するのか、それとも、演奏家として音符を音にする、「正しく譜面どおりである」ことを以てクォリティとするのか。

いやフィクションなんですけど。