下書き放出(ピアニスト)

8'39" 目の右手の和音中「Si♮」でお弾きになってるのは、正しくは「Si♯」。

赤で囲った音。

たんなるミスタッチなら、あげつらうべきじゃない。でも、ドビュッシーの和声の流れを正しく把握出来てないということなら、問題が大きい。

 

だって一聴、和音が濁ってるの、判るじゃないですか。

私はこの曲を弾けない。譜面を読んだことも無かった。今回確認のために初めて見た。

耳で、何種類かの CD で、聴いてただけ。その素人の私が即座に気付く和音の濁りにプロのピアニストが気付かないということがあり得るのか?

 

どうしたらこういうミスが生じうるのか?

プロとなると、「目で譜面を読む」ことが曲理解になってて「耳で聴けてない」ということが起こるのだろうか? 目が読み誤った時、これを耳がチェックするプロセスが存在しないのか?

指が弾けてるけど耳が聴けてない、指が弾き間違った時耳がそれに気付かない、のか?

 

作曲家とピアニストとはどうしようもなく別種ということなのか?

「作曲者と同じ視点で曲を理解すること」を目指すことを演奏家に求めるのは筋違いなのか?

私がド下手ながらドビュッシーを弾く時思ってることは、ひとえに「ドビュッシーの作曲の謎に迫りたい」というに尽きる。

プロとして立派に演奏することが求められる時には、ぎゃくに「作曲」から乖離する、ということが起こりうるのか?