パーツからの発想

ふと思い出した。

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塩ビ管継手90°

小学1年生の私は、住宅の建築現場に 塩ビ管継手90° が1個転がってるのを見掛けて、そこから秘密基地建設を夢想する奴だった。いくつかの部屋を配管で繋いで、メンバーがそれぞれの持ち場に居ながらにして物のやりとりが出来る仕組み、そのどこか1か所に、この継手が使われる筈なのだが、具体的なプランは現段階この1か所しかない。ここから基地全体の完成に至るための材料も構想も無い。何の知識を学べば全体のプランを立てられるのか、何の技術を習得すればそれを実行できるのか、皆目判らない。

多岐に亘るのであろう、克服すべき困難。

 

パーツからの発想は夢想に終わる。

思えば私は今も作曲でこの夢想をやってる。細部からしか始められない。

まず全体のプランがあって細部が決まる、というのと逆に、まず瞬間の、長くても数小節の「閃き」がある。

萌芽というのとも違う。萌芽は個体全体を予想するから萌芽なのだ。

1曲の長さに到達するためには、それに必要な回数閃かねばならない。断片を連ねてゆく。長くはなってゆくけど、どんな全体のフォルムになるのかは予想出来ない。

建物は建たないけど、庭にはなれるだろうか?

 

最近、アメブロでよくやりとりさせて頂く方から、浦上想起という作曲家を教えて頂いた。

YouTubeSpotify で数曲聴いた。密度が凄まじく高く、その密度が、細部、瞬間瞬間の積み重ねで達成されていることにびっくりした。

一方ではイメージの変幻自在な「スキゾ*1」さ、もう一方では緻密で忍耐強い作業の「パラノ」さ、両者が結びついて、奇観だった。

 

浦上氏の曲は、ポップな歌モノとしての骨格も備えていて、5分程度の長さを、安定して持続させ、(瞬間の音の飛沫を次々に飛び散らせながらも)全体を統一的に押さえる。ここは、どうしても断片の「継ぎ接ぎ」にしかならない私には出来ないところだ。

 

「シンフォ」というお題で首尾一貫させる計画だったのが、結局いつも通りのザッピングになった過去作。

*1:「スキゾ」「パラノ」は、1980年代に、たぶん浅田彰が提唱した類型だと思う。