わくわく音名フォーマット

夢で、廊下に積もった桜の花びらの処理方法を問われ、思い付いたのが「同量の梅の花びらで中和する」だった。

 

 

さて。

 

他人様の御ブログで、フォーマットを決めて、1記事につき1アルバムを、ジャンル万遍に紹介するものに遭遇すると、私にはとても出来ない、と思う。音楽全体のデータベースづくりを目指していらっしゃるの?と思わせるもの。

フォーマットに拠りつつポエティックであることも可能なんだろうけど、私がやると、きっと「作業」になってしまう。

 

私は、取り上げる対象も偏るし(自分の好きなものしか取り上げない)、取り上げ方も、私自身が感動したポイントを起点にするから、毎回アプローチがちがうし、文体が一定しない。

書きながら私自身がワクワクしたい。

書きながらワクワクする、2種類の場合があって、

①「文案がグロスで降って来るもの」。これを首尾よく形に出来た場合。

②「考えながら書くもの」。予期せぬ結果に至ってしまった場合。

 

「考えながら書く」。

冬至ネタのつもりで書き始めて、「ん」の付くものを挙げるうち「アンサンブル・アンテルコンタンポラン」に至り、貼った動画がヴァレーズで、どうせなら、とそこそこ本気で調べ物をするうち結局ヴァレーズについての記事になった、とか。

短いコントから、その中に出て来る語句に引っ掛けて音楽記事に持ってゆく、というところまではプランがあったけど、その中から「絵葉書」の語を拾うことは予定に無かったし、そこから結局『アルテンベルク歌曲集』の記事になることは予期しなかった、とか。

 

以前

「作曲の場面で、作者が意図的に主題として設定するもの以外に、作者も気付いてるとは限らない、分析すると出て来る音形があって、それは1作品内に収まらない『作曲活動全体の主題』で、こっちのが、深きに由来する、本来の主題なのではないか?」

と書きながら、思い浮かべてたもののひとつが、武満の「海のモティーフ」だった。

 

拙過去記事『かぶってる』も、当初「〈私の中で2つの語がキャラかぶりしてる例〉を挙げながらそのついでに武満『海へ』にも言及する」プランだったのが、どうせならと調べ物をしてしまって、ほぼほぼ『海へ』についての記事になってしまった、というケース。

ただ、この時は、この曲の作曲の経緯についてだけ書いて、曲内容そのものについては書かなかった。「海のモティーフ」にも触れなかった。

当ブログは「音楽にまつわるドキュメント」を情報として紹介するよりも「音楽そのもの」に即したい。のではある。でも果たして、「海のモティーフ」を論ずることは、本当の意味で音楽そのものに即することだろうか?

「s (es) - e - a」は、ドイツ音名でだけたまたまこの呼び名になる。この音がこの呼び名をもつことは「音楽そのもの」ではないし、音列を決める根拠にならない。してはならない。

むろん武満のこれの場合は、たんに音名をなぞったものじゃない、どうしてもこうならざるを得ない、ものではあるんだろう。

 

音名による音列で有名なのは「b - a - c - h」と「c - a - g - e」だけど、この場合はたまたま、モードとしての性格がはっきりしてて、かつ両者の性格が対照的なので、面白い。

「b - a - c - h」はクロマティックな4音、「c - a - g - e」は長調ペンタトニック中の4音。

 

ちなみに、これの 1'03"~1'23" のベース・パートが「b - a - c - h」に拠ってます:

とにかく、こういうのは、お遊びに過ぎない。

 

ベルクが『抒情組曲』作曲において、自らのイニシャルと恋人のイニシャルをそれぞれ仕込んだ2つのモティーフを絡ませた、みたいな話は聞いたことがある。

作曲の動機として機能したのだから、大いに意味があるんだろうけど、作品の価値そのものではない。