「牧神の午後への前奏曲」を終止線まで収録したCD を聴いたことがない。
最後のページ。
ここ(練習番号⑫)は、12/8拍子。
最後の小節に音符があるのは、チェロと、コントラバスと、前の小節からタイで持ち越されて来た、フルートと、サンバル・アンティーク。
その小節は、1拍の長さの音符と、11拍の長さの休符で出来ている。
CD にこの曲を最後まで収録するとは、具体的には、この休符の長さ分、奏者の発音を止め、暗騒音を収めることだが、私が今まで聴いたどの CD も、終止線を待たずに暗騒音をフェイド・アウトしている。
この休符をどう演奏するのが正解なのかは、作曲者ドビュッシーの意図を尋ねれば疑問の余地が無いんだけど、咄嗟に調べきれない。
もしかしたら、ここにこの長さの休符を置いたのは、小節を埋めるため、という消極的な理由からかも知れない。
でももしかしたら積極的に、「余韻」のためにこの長さの沈黙が必要、という意図の表現なのかも知れない。
この曲はことさらに余韻の美しい曲だ。私個人の感想としては、終止線を待たないフェイド・アウトには、いつもわりと本気でがっかりする。