ロック聴き始めの頃は、ドラムに異物感があった。
クラシックを聴いてた耳でロックを聴いたから、なのかも知れない。
最初に出会ったのが、基本ビートや「パターン」をキープするドラムだったからかも知れない。
ギターとベースとキーボードでコンポジションが成り立ってる。ドラムは、3つのパートが既に示してるビートをことさらに強調する役割。
ロックにおいてはドラムが曲構造の基礎とさえ見做される。
インパクト、かっこよさのためにドラムは必要だし、ドラムが無いとロックの出音にならない。でもそれはコンポジション上の必要とは別問題だ。
編成としてドラムを必要とするロックの曲構造は、クラシックより民族音楽に近いと思った。
天地がひっくり返ったのは、クリス・カトラーを聴いた時。ウワモノとしてのドラム。「パターン」ではなく「フレーズ」に終始する。
無関係の映像を付けることに私は反対だけど(意図によるけど)、この曲のつべはこれしか見つからない。Lutz Mommartz という人の映像作品かららしい。
コンポジションが入り組んでる時、基本ビートを示さないと、どう入り組んでるのか判らない、ということはある。ジェントル・ジャイアントの複雑は、ジョン・ウェザーズのビートキープの上でこそ存分に展開できるんだろう。
打込みで、ドラムパートを最初に打込むか最後に打込むか、は、同じ計画の手順だけ入れ替えること、ではない。完成形は結局どちらも同じ、なのではない。
曲構造の発想が違う。当然結果も違う。
最後に打込むことは、曲の大枠を作るためのドラムであることをやめて、和声づくりに参加はしないけど新たな声部を絡ませることだし、時には「注釈」の役割を担う。