サイトのテンプレ、気になるあの書式の起源とは?!

みなさんは、「調べてみました系サイト」の、フォーマットというか、テンプレというか、をご覧になったことがあると思います。「リード文で『これから~について説明してみようと思います』とか言ってる暇があったら本文から始めて説明しろよ」とお思いになったり、これに則って書かれた記事は予め検索対象から除外する、という方も多いのではないでしょうか。そもそもこのテンプレは、いつ、どこで生まれたものなのか?そしてこれが猖獗極めてる理由は何なのか?いっぱんに書き手が既存のフォーマットに沿いたがる心理の分析を含めて、調べたので、これから説明してみようと思います。

 

目次

 

 

 

…考えてみたら私は「調べる」という地道な作業が何より嫌いなのだった。

 

曲を「どう始めるか」は重要だ。まずアトモスフィアを設定する 'Close To The Edge' 型とか、いきなり本論から、なんなら結論から入る 'Red' 型とか。

聴かせたいのが「作曲」なのか「演奏」なのかによっても違ってくるし。

それ以上に重要なのが曲を「どう終えるか」で、私は試聴曲など、途中をスキップしても、最後の「終え方」は必ず聴くように習慣づいてる。

自作の終え方の参考にするため、って私の作曲活動自体が既に終わってるけど。

 

(C - D - E♭ - B♭ - Cm - F - A - F - Dm というコード進行の曲は書いておきたい気もする。 )

 

始め方や終え方の印象的な曲を貼る記事にしようかとも思ったけど、もうひとつ別のことに考えが及んだ。

どこから聴き始めて、どこから聴き終えてもよい曲、つまり始まりも終わりも無い曲、というのがある、ということ。

アンビエントとか、サイケのドローンとか。

「始め方・終え方の斬新」よりも「始まりも終わりも無い」ほうが斬新かも知れないし、こっちのが、音楽の在り方の本来に近いかも知れない。

過去記事:
shinkai6501.hatenablog.com

 

私にはイントロという発想が無い。クラシックが根っこだからだと思う。曲冒頭は「主題の提示」なのだし、要点から言って、用件言い終えたら黙る。

クラシック曲にも序奏が付くことはある。これと、ポピュラー音楽のイントロとの違い。

ポピュラーのイントロは「主要パート」(ヴォーカルなりソロ楽器なり)が出るまで。

クラシックの序奏は作曲上の「主要主題」が出るまで。

 

始め方・終え方を考えるのは、音楽が、時間の中にあり、ぎゃくに積極的に時間を作るものである、ということが前提にあるから。

音楽が「時間芸術である」とはつまり「ヒトが聴くためのものである」ということだ。

神に時間は無い。

ペロタンのオルガヌムにおいてカントゥス・フィルムスは長く長く引き伸ばされて、ヒトの尺度・時間感覚では「メロディ」と認識できない。ヒトが聴くためではなく、神に捧げる、神が聴くためのもの、と思える。

ティーフ処理のうち「逆行」を私が使わないのは、これはヒトが「聴いて判る」ものではないから。これを使う人は、聴き手として神を想定してるのではないか?

 

自分がふだん文章をどう「書き始め」てるか気になって、当ブログを「こんにちは」で検索してみた。

1件ヒットした。ネタとして、コンビーフの「枕缶」に掛けて「こんにちは、マック・ラカンです」と言う都合上の、だった。

 

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